位置情報の履歴を見返しても、その日に本当は何をしていたかがわからないのはなぜか
スマホは、三週間前の水曜日、11時42分にどこに立っていたかを、かなり正確に教えてくれる。位置情報の履歴を開けば、軌跡がそこにある——自宅、それから街なかでしばらく、ジムの近くの建物、また自宅。一見するとその日の記録のように見える。でもよく見ると、そうではない。どこにいたかは知っていても、そこで何をしていたかはまったくわからず、そしてその「何をしていたか」こそが一日の大半を占めている。
ピンが示すのは場所であって、出来事ではない
位置情報の履歴は、座標とタイムスタンプだけでできている。「街なか、11:40〜13:15」というのが記録の全部で、この一行だけで、まったく違う何十通りもの午後が説明できてしまう。半年越しの交渉をまとめたランチだったかもしれないし、駐車場を四十五分ぐるぐる回ったあげく、結局ひとりで適当に済ませた昼食だったかもしれない。地図上の点はどちらでも同じ形をしている。点が記録しているのは、スマホがどこにあったかだけで、その周りで何が起きていたかは知らないからだ。
滞在時間は、記録しているようで実は何も記録していない
多くの位置情報アプリは、それぞれの立ち寄り先の横に滞在時間を表示する。この数字は、スクリーンタイムのレポートと同じ勘違いを誘う。まるでその日を測っているかのように見えて、実際にはある座標にどれだけ近かったかを測っているだけだ。同じ住所に九十分いたとしても、それが一週間でいちばん充実した九十分かもしれないし、いちばん退屈な九十分かもしれない。GPSの点の下で動いている時計には、その違いはわからない。そもそも、そういうことを尋ねるようにはできていないからだ。
たいていの一日は、同じ二つの住所を往復するだけ
多くの人にとって、位置情報の軌跡自体、それほど変化に富んではいない。自宅、もうひとつの建物、また自宅——それが五日間続く。これはデータの不具合ではなく、人がほとんどの時間をどこで過ごしているかを、そのまま正確に表しているだけだ。ただ、それでは中身がまったく違う二週間を見分けることができない。同じ机の前で、長らく行き詰まっていたことがようやく腑に落ちた週と、何も進まなかった週は、軌跡としてはまったく同じ形になる。住所は動かず、本当に変化したものはすべてその建物の中で起きていて、GPSにはそこまで見えない。
屋内に入ると、さらに怪しくなる
住宅より少し大きな建物に入った瞬間から、信号は弱くなる。ショッピングモール、オフィス街、病院、駅——こうした場所はひとつの点ににじんで見えたり、あちこちに飛ぶ細かい点になったりしがちだ。GPSはもともと屋外で衛星を見て働くように作られていて、何階のどの店にいるかまでは区別できない。近くにある二つの場所のあいだをちょっと往復しただけでは、独立した立ち寄り先として記録されず、前後どちらかの記録に紛れ込んでしまうこともある。軌跡がいちばんあてにならないのは、まさに一日のうちでいちばんいろいろなことが起きている場所——建物の中で、何かをしているときなのだ。
位置情報の軌跡が、本当に得意なこと
だからといって位置情報の履歴が無意味というわけではない。ある狭い、具体的な問いには驚くほどよく答えてくれる——あの日、自分はあの場所の近くにいたかどうか、という問いだ。車をどこに停めたか思い出したいとき、経費精算であの日その場所に本当に行ったか確認したいとき、何かを置き忘れた店を突き止めたいとき、記憶よりずっと頼りになる。しかも自動で記録されている。ただ、そこに着いてからの時間が実際どんな時間だったのかという、もっと大きな問いに答えるようには、そもそも作られていない。
「どこ」と「何をしていたか」は別の問い
これは、カレンダーと実際の記録のあいだにあるずれ、スクリーンタイムのレポートとその晩の実際の過ごし方のあいだにあるずれと、同じ種類のものだ。位置情報の軌跡は、一日のうちで体がどう動いたかをかなり正確に教えてくれる。でも、そのどの部分にどんな意味があったかまでは教えてくれない。GPSがそもそも捉えようとしているのは座標であって、意味ではないからだ。
TimeMap について
TimeMap が埋めているのは、位置情報の履歴が空白のままにしている部分だ。バックグラウンドで自動的に記録される座標のかわりに、実際に何かが起きているそのときに、いる場所を問わず一行書いて、色をつける。電波の強さや建物の何階にいるかは関係ない。記録しているのは出来事そのものであって、スマホが位置を三角測量できるかどうかではないからだ。
位置情報の履歴は、得意なことのためにそのまま使い続けてかまわない——どこにいたかを知ること、それは変わらず得意だ。ただ、数か月後に、その時間が実際どんなものだったのかまで、同じ仕組みに教えてもらおうとするのはやめよう。それは別の記録であり、衛星ではなく、その日にちゃんと注意を向けていた人が書く必要がある。