TimeMap

TimeMap / ガイド

時間を計るのと、時間を記録するのはどう違うのか

同じ「時間管理」という言葉でくくられがちですが、時間を計ることと時間を記録することは、目的も、出てくるものも、続く条件もまったく違います。どちらが優れているという話ではなく、自分がどちらの問いを抱えているのかをはっきりさせると、無駄な遠回りが減ります。

計測が答えてくれること

タイマーやストップウォッチ、工数管理ツールがやっているのは、区間の長さを測ることです。開始を押して、停止を押す。その差分が数字になり、合計され、割合になります。ここから出てくる答えは、たとえばこういうものです。この案件に何時間かかったのか。請求できる時間はどれだけか。見積もりと実績はどれくらいずれたのか。会議は週の何割を占めているのか。

数字が要件になっている場面では、計測に代わるものはありません。顧客に時間単位で請求する仕事、複数人で工数を持ち寄る開発、次の見積もりの根拠がほしいとき。こういう場面で「たぶん3時間くらい」は使えません。

計測が答えられないこと

一方で、合計時間はその中身について何も語りません。「執筆に4時間」という行は、その4時間が乗っていたのか、詰まって同じ段落を書き直し続けていたのかを区別しません。誰と話したのか、何を思いついたのか、なぜ途中でやめたのかも残りません。

もう一つの弱点は、計測が意識のある時間しか拾えないことです。押し忘れた区間は存在しなかったことになります。日曜の午後、友人からの電話、駅で見かけた何か——数字にしにくいものは、たいてい記録から抜け落ちます。そして一年後に読み返したくなるのは、たいていそちらのほうです。

記録が答えてくれること

時間の記録、つまりライフログがやっているのは、長さを測ることではなく、出来事を置いていくことです。状況が変わったら一行書く。何時に、何をしていたか。それだけです。合計は出ませんが、代わりに「何があったか」が残ります。

ここから答えられる問いは、計測とは別物です。この二週間、自分は何に手を出していたのか。あの企画を思いついたのはいつだったか。去年の同じ時期、自分は何を考えていたのか。誰とよく会っているのか。落ち着いていた週と、そうでなかった週は、何が違ったのか。

どちらを選ぶかは、問いで決まる

迷ったら、自分が最後にほしいものを想像してみてください。ほしいのが数字なら計測です。表であり、割合であり、根拠です。ほしいのが情景なら記録です。読み返して思い出せる一行であり、傾向であり、変化の手触りです。

両方ほしい場合もあります。仕事の工数は会社のツールで計測し、自分の一日は別に一行ずつ残す。役割を分けてしまえば、どちらも中途半端になりません。ひとつのツールに両方を求めると、たいてい計測の厳密さが記録の気軽さを殺します。

設計思想の違いとして見る

TimeMapは後者に振り切っています。所要時間は測らず、一行のテキストと時刻とカテゴリの色を残すだけです。だから押し忘れという概念がなく、後から思い出して書き足しても記録として成立します。

逆に言えば、請求根拠がほしい人にはまったく向きません。そこは正直に線を引いたほうがお互いのためです。計測は精度を売り、記録は継続を売る。自分がいま買いたいのはどちらか、それだけの話です。