TimeMap

TimeMap / ガイド

スクリーンタイムのレポートが、何も教えてくれないのはなぜか

毎週日曜になると、スマホは頼んでもいないのにレポートを差し出してきます。棒グラフの列、週の合計、先週との比較、太字で強調された「もっとも使ったアプリ」。数秒眺めて、閉じる。それだけです。その週に実際何があったのかは、そこからはまったく見えてきません。奇妙なのは、そのレポートのどこにも間違いがないということです。ただ、あなたが本当に知りたかったことに、最初からアクセスできていないだけなのです。

スクリーンタイムが実際に数えているもの

スクリーンタイムのレポートが測っているのは、たった一つのことです。あるアプリが、どれだけの時間、画面の一番手前に出ていたか。これは本物の数字であり、自動で集めるのがとても簡単な数字でもあります。だからこそ、いまではどのスマホにも標準で付いてきます。ただ、「前面に出ていた長さ」と「そこに注いでいた注意の中身」はまったく別の測定であり、この二つの間にあるずれこそが、レポートが役に立たなくなる場所です。

「メッセージ:1時間40分」——それは、大切な人との長く重い会話だったかもしれません。旅行の日程を決めるための、四十回近い短いやり取りだったかもしれません。他のすべての通知は切ってあるのに、そこだけまだ鳴るグループチャットを、二十分眺めていただけかもしれません。この数字はそのどれなのか知りませんし、そもそも知ろうともしていません。前面にあった秒数を数えるために作られているのであって、その秒数の中で何が起きていたかを理解するためには作られていないのです。

数字が増えても、あなたについては何もわからない理由

このレポートは、数える以外にもう一つのことをします。比較です。「先週より12%増加」と、まるで判決のような赤い上向き矢印つきで表示されます。何が「良い」数字なのか、誰も教えてくれたことはないのに。ある週は、病院の予約を取ったり、配送業者とやり取りしたり、遠方に住む親とビデオ通話をしたりで、スマホを見ている時間が長くなります。別の週は、ソファに座って何となく画面をスクロールしていただけで、同じくらい長くなります。どちらも先週より高い棒を作りますが、この比較にはその二つの週の違いがまったくわかりません。それでいて、どちらにも同じくらいの、うっすらとした後ろめたさを差し出してきます。同じ理由でタイマー式のアプリをやめたことがある人なら、この感覚には見覚えがあるはずです。

カテゴリの問題

アプリごとの内訳は、一見「何をしていたか」に答えているように見えますが、実際に答えているのは「どのアプリが開いていたか」でしかありません。そして、アプリは意味のあるカテゴリではありません。「写真」には、経費精算のために撮ったレシートの写真と、去年の休暇の写真を眺めていた十分間が、まったく同じラベルの下に並びます。「Safari」には、本気で心配していた健康上の疑問について調べていた一時間と、特に理由もなくただ眺めていた一時間が同居していて、レポートにはそれを区別する力もつもりもありません。この区切りは、Appleがひとつのソフトウェアの周りに引いた境界線であって、あなたがその日の中身について自分で引いた境界線ではないのです。

自分で書いた一行が、受け身の集計にはできないことをしてくれる

自分で一行書くのは、寝ている間に自動でレポートが作られるのに比べれば、明らかに手間がかかります。その手間のかかる部分にこそ、価値があります。「父の請求について保険会社に電話、ほとんど保留のまま待っていた」と書くのは、スマホが黙って「電話」というカテゴリに四十一分を記録するより、数秒よけいにかかります。でも、一年後にも残しておく価値があるのは、まさにこの一文のほうです。誰との用件だったか、たいていはなぜだったかまで、Appleが決めた区分ではなく、自分で選んだ言葉で書かれているからです。あなたの関与なしに生成された数字には、そのとき何を考えていたかの痕跡が一切残りません。自分で打った一行には、そのすべてが、あとから見てもわかる形に圧縮されて残ります。

だからこそ、書き残した記録を読み返すのと、スクリーンタイムのグラフを見返すのとでは、まったく違う体験になります。半年前のスクリーンタイムのレポートを開いても、教えてくれるのは、それが作られた週とまったく同じ、平たい事実だけです。「Safari、2時間」。半年前に自分で書いた一行を開けば、その週が実際どんな一週間だったかに、ずっと近いものが見えてきます。その言葉は、そもそも最初から、ただの長さではなかったからです。

もともと違う問いに答えるように作られている

  • スクリーンタイムが答えているのは「このアプリにどれだけ注意を奪われたか」です。 その答えがすでに気になっている場合にだけ役立つ問いであり、その時間が良く使われたのか、無駄になったのか、そもそもそのアプリとは関係のない時間だったのかは、何も語ってくれません。
  • 記録が答えているのは「実際に何が起きていたか」です。 書くのに少し注意力を使いますが、その代わり、あとから読んでも意味がわかる描写を残してくれます。記憶を逆算しないと意味を取り戻せない合計値ではありません。
  • スクリーンタイムは、望むと望まざるとにかかわらず集められます。 それこそがこの仕組みの魅力のすべてであり、同時に、それが表面的なままである理由でもあります。その数字が生まれるのに、あなたが何かに気づいたり判断したりする必要は、まったくなかったのです。
  • 記録には、自分が気づいて書こうと選んだことしか入りません。 これは確かに本物の制約ですが、だからこそ意味を持ちます。そこに残っている一行一行は、当時のあなたが「これは書き留める価値がある」と思ったからこそ、そこにあるのです。

これが意味しないこと

ここまでの話は、スクリーンタイムが無意味だという話ではありません。特定のアプリが、思っていた以上に一日を食いつぶしていないか本気で知りたいなら、自動集計がいちばん早い答えを出してくれます。手で一行ずつ書いていっても、その特定の問いには、それより早くは答えられません。問題は、同じレポートに、その週がどんな一週間だったか、どう感じられたか、実際に何をしていたのかまで教えてもらおうとすることです。それはもともとそのレポートが答えるように作られた問いではなく、棒グラフをどれだけ見つめても、作られていない問いに答え始めることはありません。

TimeMapは、その境界線の反対側に立っています。バックグラウンドで何かを数え続けることもなければ、火曜日が月曜日より「多い」か「少ない」かを示すグラフもありません。いま何をしているかを一行書いて、カテゴリの色をつければ、いつでも開き直せるカレンダーに残ります。必要なときには、記憶に頼って比べるのではなく、二つの期間を並べて読み返すこともできます。何にどれだけ分がかかったかは教えてくれません。でも、実際に何が起きていたかを、自分自身の言葉で教えてくれます。

次に週次レポートが、数字ひとつだけを残して何も語らなかったとしても、その物足りなさは、もっと自分を律すれば埋まるような個人的な問題ではありません。それは、数えている側のものが、そもそも何を数えているのかを理解するようには作られていなかった、というだけのことです。