時間管理アプリはなぜ、何もかもを「生産的」か「非生産的」かに分けたがるのか
たいていの時間管理アプリを開くと、いずれこういうグラフに行き着きます。色が二つだけあって、片方はカウントされる時間、もう片方はカウントされない時間。仕事、運動、読書は緑。SNS、動画、ぼんやり過ごす時間は赤。そのアプリは何をしていたかを記録しているだけでなく、記録した端から採点もしています。こちらが意見を求めたかどうかとは関係なく。
採点し始めた瞬間、それはもうカテゴリではない
カテゴリというのは本来、入れ物であるはずです。あとから見つけやすくするための名前で、ある種の出来事がどれくらいの頻度で起きるかを教えてくれるもの。「生産的」と「非生産的」はそれとは違います。ラベルの姿をした点数であり、点数のついたラベルは、そこに何を入れてよいのかという感覚そのものを変えてしまいます。「非生産的」の箱に何かを入れるのは、写真をフォルダに入れるのとは違います。自分でも認めたくないことに、自分でチェックを入れるようなものです。
これは「記録し忘れた」や「連続記録が途切れた」とは種類の違う引っかかりです。記録しようとした、まさにその瞬間に現れます。まだ何も書いていないのに、頭の中で一瞬止まる。さっきやったことは書き残すに値するのか、それとも書き残すこと自体が白状になるのか、と。
その時間が「非生産的」なのではなく、グラフがそう決めている
大変だった一週間のあと、ソファに寝転んでいた一時間は、それだけを取り出せばただの一時間で、たぶん必要な一時間です。それを「生産的だった時間」の棒グラフの隣に並べた途端、それは休息から証拠に変わります。今週は調子が悪かった、あの午後は無駄だった、この一日は及第点に届かなかった、という証拠に。一時間そのものは何も変わっていません。変わったのは周りの枠組みだけで、判定はすべてその枠組みがくだしています。
同じことが、少し長引いた電話にも、目的のない散歩にも、二つの用事のあいだの何もしていない二十分にも起こります。どれも失敗ではありません。緑に分類される部分と同じくらい、一日を構成するごく普通の手触りです。ただ、選択肢が二つしかないアプリは、生産的とも非生産的とも言い切れないものすべてを、もう片方の色に押し込んでしまいます。「普通」というカテゴリは、たいてい用意されていないからです。
点数が悪くなる部分から、記録に書かれなくなっていく
記録が自分を採点できるようになると、いちばん正直な対応は、点数を下げる部分を記録に渡さないことになります。昼寝も、止まらなくなったSNSも、ひとつの用事を終えて次を始めるまでの何もしていない時間も、静かに書かれなくなっていきます。それが起きなかったからではなく、書けば赤い部分が伸びるのを自分で見ることになるからです。数週間もすると、残っているのは一日の実際の姿ではなく、体裁の良い部分だけを集めたハイライト集になります。そしてハイライト集からは、何のパターンも見えてきません。パターンを教えてくれるはずだった部分こそが、切り取られてしまっているからです。
カテゴリは、ただの色でいい
本当はこうである必要はありません。カテゴリが答えるべき問いはひとつだけです。これは何の出来事だったか。そこに正解も不正解もありません。「スマホを見ていた」「友人といた」「移動中だった」「特に何もしていなかった」は、序列なしに並べておけます。カレンダーが火曜日と水曜日に優劣をつけないのと同じことです。そうやって一か月分の記録をあとから見返すと、実際に近い姿が見えてきます。何かが実際どれくらいの頻度で起きたか、体裁を整えるために編集された人生の中でどれくらい起きたか、ではなく。
TimeMapについて
TimeMapが記録するのは一行のテキストと色だけで、その色はアプリが下す採点ではなく、自分で選んだタグです。生産的の欄も非生産的の欄も用意されていません。分類は序列をつけるためのものではなく、正直に書き続けられる記録を残すためのものだからです。点数の良くない日も含めて。
一日は査定面談ではありません。思い出す価値を持つために、前もって自分を証明する必要はないのです。