時間計測アプリは、なぜ使うほど負担が増えていくのか
うたい文句はいつも同じだ。これを入れれば、深く考えなくても自分の時間がどこに消えているのかわかるようになる、と。ところが数週間もすると、多くの人は逆のことに気づく。タイマーが動いているかどうか、この作業をどのプロジェクトに割り振るべきか、昼休みに停止し忘れていないか——そんなことばかり考えるようになっている。約束されていた「わかるようになる」は、まだやって来ない。維持作業の下に埋もれてしまっているからだ。手間いらずのはずだった道具が、いつの間にか自分自身の仕事を持つようになっている。
タイマーは、ただそこにいる観察者ではない
動いているタイマーを、部屋を録画する防犯カメラのような、何も求めてこない存在として思い浮かべるのは簡単だ。しかし実際はそうではない。タイマーは、何かが始まる前に開始を押すことを要求し、終わったあとに停止を押すことを要求し、しかも、その何かがどのカテゴリに属するかを、始まる前にあらかじめ決めておくことまで要求する。これらはどれも自動では起きない。計測したい時間の区切りひとつひとつに、前後それぞれ小さな事務作業がくっついてくる。そしてその作業をこなすのはアプリではなく、自分だ。
これに、一日のうちで実際に何かから何かへ切り替わる回数——電話、そのあとメール、少し歩いて、電話の続きに戻る——を掛け合わせると、このアプリが求めているのは一度の判断ではないとわかる。数分おきに、一日中、記録に意味を持たせたいと思う限りずっと、判断を求め続けているのだ。
進行中にカテゴリを決めることは、もうひとつ別の仕事になる
あとになって何をしていたかを書くのは、描写だ。一方、まだ結果もわからないうちに、進行中の時間をどの区分に入れるか決めるのは、予測にあたる。そして予測は描写より、はるかに多くを消耗する。「取引先との電話」として始まった打ち合わせが、途中から問題解決になり、やがて愚痴になり、最後は次の段取りの話になっても、タイマーはその全体にひとつのラベルを求めてくる。しかも、その全体がどうなるか一番わからない開始の瞬間に、決めろと言ってくる。だから、区切りの性質が変わるたびにタイマーを止めて再開するか——これ自体が一時間に何度も課される小さな税になる——あるいは早いうちにラベルをひとつ選んで、その区切りの残りをずっと少しずれたまま通すかのどちらかになり、後者はまさに欲しかったはずの数字を静かに汚していく。
間違いはそこにじっと留まらず、あとから追いかけてくる
記録の一行が間違っていても、それは少しずれた一文があるだけで、多少気に障る程度で、放っておいてもさほど困らない。しかし計測された区間の間違いはそうはいかない。その間違いには支える役割があるからだ——合計に組み込まれ、その合計がレポートに組み込まれ、そのレポートこそがこのツールの存在理由そのものだからだ。二時間の昼休みにタイマーを止め忘れると、目の前にあるのは単なる一件の誤記ではなく、汚染された合計値であり、それを見つけ、開き、手作業で直すまでは、そのアプリが語ることを二度と信用できない。この修正作業はたまのメンテナンスではない。多くの人にとって週に一度、ひどければ毎日起きることで、しかもれっきとした労働だ。手間を省くはずだったツールが、その手間をそっと本人に押し返してきているにすぎない。
アプリ自身が、説明するはずだったリストの一項目になる
これが、はっきり言葉にできないまま、最も早く人を遠ざける部分だ。自分の時間を理解することの魅力は、本来、手元にある本当の用事をよりくっきり見えるようにすることのはずだった。ところが計測ツール自身が、そのリストの一項目になってしまう——開き忘れないよう覚えておく用事がひとつ増え、頭の中で管理しておく状態がひとつ増え(「今、動いているんだっけ」)、寝る前に帳尻を合わせる作業がひとつ増える。忙しい一日の認知的な負荷を軽くするはずだった道具が、結局その同じ負荷に、自分自身の小さくて絶え間ない唸り声を付け加えて終わる。しかもその唸りは、アプリの出来がよいからといって消えるものではない。動き続ける計測というしくみが、人に対して本質的に求めてくるものだからだ。
本当に負担を減らすのは、時計を賢くすることではなく、時計をなくすことだ
リマインダーが賢くなり、自動分類が優秀になった、より良いタイマーであっても、求めてくる構造は変わらない——開始と停止を、毎回、正しく決めること。どれだけ磨いても、この形そのものはなくならない。それをなくすのは、「何かが常に動いていなければならない」という前提を手放すことだ。何かが起きたあとに書く一行——文がひとつ、色がひとつ、時計は付いていない——には、忘れる開始も、覚えておく停止も、プレッシャーの中で正しく当てなければならないリアルタイムのカテゴリも、見逃した一分のせいで静かに狂う合計もない。その記入が不正確だったり、遅れて届いたりしても、それはただ不正確だったり遅れたりしただけで済む。その先で、正確に積み上がることを前提にしていたものが何もないからだ。
これは、TimeMap が実際にやろうとしていることに近い。何をしていたかを短い一行で書き、色をつける。都合のよいときに、それだけでいい。裏で動いている時計はなく、開始も停止もない。あとには確かな記録が残るが、それは一日が進んでいる最中に、手を止めて世話をすることを一度も求めてこなかった記録だ。
道具にかかる手間は、それが測ろうとしている日々そのものより軽くあるべきだ
自分の日々を理解する助けになるはずの仕組みについて、妥当な問いがひとつある。それを続けるコストは、その日々自体が持つ価値より小さいだろうか。数分おきに判断を求めてくる計測ツールは、たいていこの問いに静かに落第する。小さな中断が一つ、また一つと積み重なり、ある日うんざりして削除され、また同じ約束を掲げる別のアプリに乗り換えて、同じことが繰り返される。必要だったのは、より優秀なタイマーではなかった。その手間が、そもそも「覚えておくこと」からではなく、「時計」から生まれていたと気づくことだった。