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TimeMap / ガイド

スクリーンタイムも記録すべきか

毎週日曜、iPhoneは頼んでもいないのにこれを見せてくる。棒グラフ、合計時間、今週一番使ったアプリ。だから今日のことを一行書こうとして「スマホを見ていた」の上で指が止まると、なんだか無駄に思える——その数字はもうそこにあり、自分では何もしなくても勝手に作られているのだから。けれどそのレポートと自分で書く一行は、実は同じ問いに答えているわけではない。記録するかどうかを決める前に、そこを整理しておく価値がある。

レポートは数えるだけで、語らない

スクリーンタイムの合計が測っているのは、画面が前面にあった時間、ただそれだけだ。しんどい一週間を送っている友人にメッセージを返していた二十分と、これといった理由もなく同じ三つのアプリを開いては閉じていた二十分の違いを、この数字は区別できない。数える側から見れば、どちらも「画面が点いていて、手の中にある」という同じ状態にしか見えないからだ。この数字自体は間違っていない。ただ、その数字を見た瞬間に本当に知りたかったこと——自分はそのとき何をしていて、それは意味のある時間だったのか——には、最初からたどり着けない。

その隙間を埋めるのが、自分で書く一行だ。長い文章である必要はない。「母に返信したら、そのまま長電話になった」と「特に目的もなく同じアプリを何度も開いた」は、どちらもスマホをポケットから取り出した点では同じで、スクリーンタイムのレポートはこの二つを同じものとして数える。どちらがどちらだったかを教えてくれるのは、その一文だけだ。

「スマホを見ていた」はひとつの行為ではない

あの数字がどこか物足りなく感じられる理由のひとつは、それが「スマホを見ていた」をひとつのカテゴリーとして扱ってしまうところにある。実際にはそれは、たまたま同じ画面を共有しているだけの、何十もの違う行動の総称にすぎない。電子書籍アプリで本を読むこと、友人に返信すること、道順を調べること、見ようと思っていたものを見ること、これといった目当てもなくフィードをスクロールすること——これらは同じ種類の時間ではないのに、日曜になれば全部、同じ増え続ける数字の中に収まってしまう。日々のすべての分をこんなふうに仕分ける必要はない。ただ、記録しておく価値のあるスマホの時間があったときは、それが具体的に何だったかを書くこと——「電車の中で少し読書」「友人と長々ボイスメッセージのやりとり」——が、合計時間には絶対に語れないことを教えてくれる。

書くけれど、成績表にはしない

スマホの時間を記録することの本当のリスクは、記録すること自体ではなく、そこに一緒に紛れ込んでくるものにある。スクリーンタイムはもともと判定つきでやってくる——先週より使用時間が増えたと告げる赤い矢印だ——そして、その採点する癖を、気づかないうちに記録にも持ち込んでしまいやすい。「また無駄にスクロールして一時間使った」という一文は、実のところ記録というより、言葉を変えたスクリーンタイムのレポートにすぎない。それは何が起きたかを描写するのではなく、まだその一時間を採点している。同じ一時間でも、ただ実際に起きたことを書けば「寝る前に少しスクロールしていた、特に何を探していたわけでもない」となり、それが良かったか悪かったかをあらかじめ決めつけずに、起きたことだけを語っている。

  • スマホで何をしていたかを書く。「スマホを見ていた」ことそのものではなく。「旅行の航空券を調べていた」と「ニュースを見ていた、といっても同じ見出しを二度見ただけ」は違う事実だ。「スマホを見ていた」はその両方を同じものにしてしまう。
  • その時間帯を実際に占めていたときだけ、一行を書く。メッセージをちらっと確認しただけなら、時刻を確認するのと同じで、わざわざ一行にする必要はない。
  • 文の中から判定を抜く。その時間が良い使い方だったかどうかではなく、実際に起きたことを書く。良し悪しの判断は、その時間そのものより、書いているときの気分を語っていることが多い。
  • 目的のないスクロールも、そのまま正直な一行にしていい。「特に目的もなくスクロールしていた」はそれだけで十分な、意味のある一行だ。詫びの言葉を付け足す必要はない。

書いた一行が本当に役立つのはどこか

その価値は書いた瞬間ではなく、あとになって表れる。三か月前のスクリーンタイムのスクリーンショットを今開いても、作られたときと同じ、そっけない事実しか語らない——時間数、カテゴリー、それだけだ。一方、三か月前に自分で書いた一行の数々は、数字には絶対に見せられないものを教えてくれる。目的のないスクロールが、いつも寝る前に集中して起きていたこと。あるいは、何かをずっと先延ばしにしていた夜に限って多かったこと。あるいは、ある人から返信が来ない日が続くときに増えていたこと。これは、合計が週ごとに上下するのを眺めていても見えてこないパターンだ。分にそれぞれ名前がつき、そのとき起きていたほかのことの隣に並んで、初めて形が見えてくる。

TimeMapはスマホの利用データを読み取ったり、どこかから合計を取り込んだりはしない。書く価値があると思ったときに、自分で短い一行を書き、好きなら色をつける——ほかの何を記録するときとも同じように。特別な成績表もなければ、裏で自分と競い合っている仕組みもない。あとから二週間を並べて見比べたり、自分が実際に書いたものを読み返したりできる。火曜日が月曜日より「使いすぎ」だったと理由も告げずに言い張るグラフを、眺め続ける必要はない。

次にスクリーンタイムの通知が来て、その数字が何かを見落としているように感じたら、その感覚はおそらく正しい。数字は間違ってはいない。ただ、その時間が実際に何のためだったかを、最初から知りようがなかっただけだ。そこはやはり、自分の手で、わずかな言葉でも書き残しておくしかない。