日々の記録にエネルギーの状態も書くべきか
目が覚めてまだ体を起こしてもいないうちに、もう数字が待っている。バッテリーのアイコン、赤から緑へ動く目盛り、今日はどれくらい持つかを教えてくる何か。これは当てずっぽうではない。睡眠のステージ、心拍数、夜のあいだどれだけ寝返りを打たなかったか、そうした実際の信号から算出されている。だから夜、日々の記録を開いて今日の調子を一言書こうとした瞬間、運動や天気のときと同じ迷いが顔を出す。この数字はもうアプリの中にある。一文書いたところで、何が付け足せるのか。
スコアとは、理由を全部捨てたあとに残る平均値のことだ
あの目盛りは確かに役に立つことをしている——一晩分の身体の信号を、一目でわかる一つの数字に圧縮してくれる。これは自分の感覚で判断するよりずっと安定している。ただし平均値というものは、定義からして、それを作った細部をすでに切り捨てたあとの姿だ。65という数字は、それが夕食が遅かったせいなのか、真夜中の気の重い電話のせいなのか、部屋が暑すぎたせいなのか知らない。それらを足したら65になった、ということしか知らない。今日がなぜ最初から空っぽだったのかを知りたいなら、スコアを見るのは場所を間違えている——それは説明するためではなく、要約するために作られている。
数字がつくと、気分トラッカーと同じ落とし穴にはまる
エネルギーに数字がつくと、その数字はすぐにその日そのものより重くなる。45点は明日超えるべき目標になり、90点は翌日届かなかったときの失敗の基準になる。低い点が続くと、実際に何があったかとは関係なく、自分をうまく管理できていないという判決のように感じられてくる。日々の記録にはそういう目盛りがどこにもなく、書き留める一文にも、今日が超えなければならない数字はぶら下がっていない。だるい一日はただ、だるい一日として書けばいい。その下に、越えたか越えなかったかを判定する線はない。
スコアが最初から持つ気のないもの、一文なら残せるもの
ウェアラブルがどれだけ優秀でも、ある午後がなぜ水の中を歩くように重かったのか、疲れ切っているはずの夜がなぜかえって平気だったのか、それは知らない。それが赤ん坊に起こされ続けた三晩目だったことも、その重たさが昼休みの散歩の瞬間に消えたことも、ずっと気が重かった電話がその日残っていた力を全部使い切ったことも、数字は知らない。一文ならそれを受け止められる。今日は一日中まったく力が入らなかった。昼に少し歩いた三十分だけが、唯一しんどく感じなかった時間だった。バッテリーのアイコンをちらっと見るより時間はかかるが、スコアを出していたアプリがとっくにバージョンを重ねて古い数字が二度と取り戻せなくなったころ、その日が実際どうだったのかを読んでわかるのは、この一文だけになる。
エネルギー専用の欄はいらない
だからといって毎日、その日の調子について何か書くべきだという話ではないし、健康アプリの中でエネルギーが専用の場所を持っているように、日々の記録でも特別扱いする必要はない。ほかのことと同じように、書く価値があるときだけ書けばいい——ある会話、思いがけない用事、なんでもいい。前の日とだいたい同じ調子だった日は、観察を積み上げるためだけに無理に一文をひねり出す必要はない。触れられないまま終わっても、記録の完全さは損なわれない。
本当に一文の価値がある瞬間
そのために取っておくのは、エネルギーの状態そのものがその日の中心だったとき——ぼろぼろになるはずだったのにならなかった日、紙の上では何も疲れる要素がなかったのになぜか疲れていた日、毎晩ぐったりしていた期間が振り返ってみるとその頃起きていた別の何かとちょうど重なっていたとき。こうした記録だけが数か月たっても意味を持ち続ける。そのころにはスコアを出していたアプリはもうどこにもなく、その日本当は何がそこまで消耗させたのかを覚えているのは、この一文だけになっているからだ。
TimeMapについて
TimeMapにはエネルギーのスコアも、バッテリーの目盛りもなく、感じたことを明日超えるべき数字に変えるような仕組みもない——ほかの何であれ目標や連続記録に変えないのと同じだ。エネルギーに対してTimeMapが用意しているのは、ほかのすべてと同じもの、つまり時刻と、短い一文と、望むなら添えられる色だけだ。
どこかのアプリが出した点数のせいで、調子の悪い一日が自分のせいのように感じられているなら、思い出してほしいのは、この記録はそもそも採点するためのものではなかったということだ。求めていたのはただ、その日実際に何があったかについての一文だけであり、疲れた一日にもらえるのは、ほかのどんな日とも変わらない、ただの一文にすぎない。