TimeMap

TimeMap / ガイド

スマホばかり見ていた一日は、どう記録すればいい?

ふと顔を上げると外はもう暗くて、お昼から今までの時間の大半が、あの五インチの画面の前で過ぎていた。そんな一日は、何も書くことがないように感じられます。正直に要約すると「スマホを見ていた」になってしまい、それは記録というより告白のように読めてしまうからです。結局その日は飛ばされ、記録はいつのまにか「人に見せられる日」だけを集めたものになっていきます。

飛ばしたくなるのは、判定を避けたいだけ

登山をした日や、何かをやり遂げた日を記録するのに迷う人はいません。ためらいが出てくるのは、決まってスマホ中心の日だけです。これは何も起きなかったからではなく、起きたことが振り返りに耐えられない気がするから。「スマホ」と書くことは、自分に不合格の判定を下すことのように感じられ、だったら何も書かずにその日を消してしまうほうが、告白のような一文を書くよりずっと楽なのです。

これは本来この形式が背負う必要のない、習慣トラッカー的な発想が紛れ込んでいるだけです。記録は通知表ではありません。「いま何をしていたか」の一行は、書かれる前に立派である必要はないのです。

「スマホを見ていた」は、起きたことではなく起きた場所

スマホはひとつの行動ではありません。まったく違う十数種類の行動が、たまたま通り過ぎていく入り口です。ちゃんと記事を読む、しばらく連絡していなかった人にメッセージを送る、特に目的もなくスクロールする、残高を確認する、友達が送ってきた本当に面白い動画を見る、退屈しのぎにフィードを更新する、口論の途中で何かを調べて決着をつける。「スマホを見ていた」はこれら全部を一枚の平らなラベルに押しつぶしてしまいます——ストップウォッチが「かかった時間」を数字に押しつぶすのとよく似ていますが、今回押しつぶされているのは時間ではなく中身のほうです。スマホはただの器で、その中で実際に何をしていたかこそが、一行に値するものです。

あいまいな三時間ではなく、具体的な五分間を書く

解決策は思うより小さなものです。スマホ中心の時間帯全体を要約しようとせず、その中で実際に違っていた一つか二つのことだけを書けばいい。「三時間スクロールした」ではなく、たとえば「たぶん一生行かないだろう登山道の動画にはまって、気づいたらずっと見ていた」とか、「妹としばらく話した、ここ何週間かでいちばんちゃんとした会話だった」。こちらの一文は、一年後に読み返す価値があります。平らな「スマホ」のほうにはそれがありません——その差は、どちらの行動にどれだけ時間がかかったかとは、まったく関係がないのです。

この日もやはり何かを教えてくれている

スマホ中心の一日になるのは、めったにランダムには起きません。予定のない午後、何かに消耗した後、返信待ちで他のことが手につかない時間帯など、決まった種類の時間帯に集まりがちです。「ずっとスクロールしていた、金曜締切のあれを始めるのを避けていた」という一行は告白ではありません。記憶だけに頼っていたら確実に失われていた情報です。記憶は物語として筋の通る一週間を残そうとして、こういう平坦で内容の薄い午後を静かに削り取ってしまうからです。

同じ午後を、二通りに記録する

スクリーンタイムのレポートが見せてくれるその午後は、ひとつの数字です——四時間二十分、アルゴリズムが決めたカテゴリーに振り分けられ、そのうち三十分は本当に心に残る何かを読んでいた時間で、残りは完全に上の空だったということまでは伝えられません。同じ午後の記録は、たとえば「なんだか落ち着かなくて、同じ三つのアプリを開いては閉じてを繰り返し、結局あきらめて友達に電話した」となるかもしれません。数字とこの一文は同じ時間帯を指していますが、そこにいることが実際どんな感じだったかを語っているのは、一文のほうだけです。

この一行に、言い訳はいりません

はっきり言っておくと、スマホ中心の一日は、説明も、弁明も、同じ行の中で何か「生産的」なことと相殺する必要もありません。「午後の大半をスクロールしていた、必要だった」で、それだけで完結した正直な記録です。何の説明もない一文も同じように成り立ちます。記録はその数時間が費やす価値があったと証明させてから受け取るわけではなく、ただ何をしていたかを尋ねているだけです。手応えのなかった時間も、他のどんな時間とまったく同じだけ本物です。

TimeMapは、一行を「有意義」か「無駄」かに仕分けてから保存するわけではありません。実際にしていたことを書く——スクロール、メッセージのやり取り、たまたま読んでいたもの、あるいは何をしていたかうまく言えないこと——それに色をつければ、他のどんな種類の一日とも並んで記録の中に残ります。それ以上の価値を証明する必要はありません。

画面ばかり見ていて書くのが気まずいと感じる日ほど、実は正直な一行がいちばん必要な日です。何かを正すためではなく、後になって、こんな普通の午後が実際何でできていたのかを知るために。