今の自分は、以前より本当に食生活が良くなったと言えるのか
「一、二年前と比べて、今の自分は食生活が良くなっただろうか」と自分に問いかけてみても、返ってくるのはたいてい事実ではなく感覚でしかない。この春から自炊が増えたから、答えは当然「良くなった」だという気がする。秋に仕事が忙しくなってテイクアウトの容器が積み上がり始めたから、答えは当然「悪くなった」だという気もする。どちらの印象も本当かもしれないが、どちらもこの問いには答えられない。なぜなら、そのどちらも「ふだん実際に何を食べていたか」から来ているのではなく、たまたま印象に残った日から来ているからだ。
ふつうの夕食は、記憶にならない
記憶がものを残す仕組みは、対比によっている。特別においしかった夕食、夜遅くに台所のシンクの前で立ったまま流し込んだ一食、休日で毎食がちょっとした行事になっていた一週間——こうしたものが記憶に残るのは、前後の食事と何かが違っていたからだ。冷蔵庫にあるものを適当に組み合わせただけの、画面を見ながら食べたどこかの火曜日の皿は、何も残さない。それが実際には一番多く起きているパターンだったとしても関係ない。ふつうの食事こそ、記憶が最も残せないものであり、そしてこの問いに正直に答えるために本当に必要なのは、まさにそのふつうの姿の方なのだ。
良い一週間も悪い一週間も、答えを歪める
直近に起きた方の極端が、たいてい議論に勝つ。月の終わりに三日連続で自炊できていれば、「最近は食生活が良い」という感覚は当然のことのように思える。たとえその前の三週間がシリアルとデリバリーアプリでほぼ済んでいたとしても。逆に、昼食を何度も抜き、深夜にテイクアウトを頼んだ一週間があれば、その前がずっと安定していたとしても、正反対の結論の方が当然に感じられる。どちらの週の記憶も間違っているわけではない。問題は、直近に起きた出来事の方を平均の代わりにしてしまうことだ。実際の平均は、記憶に残るほどでもない、ありふれた食事の積み重ねでできている。
変化には、たいてい明確な始まりの日がない
「今日から食生活を悪くしよう」とわざわざ決める人はほとんどいない。変化はたいてい、何か別のことにくっついて静かに入り込んでくる。仕事が忙しくなって、料理がもう一つ余分にやることになったとか。引っ越しで、いつも使っていた店が二十分遠くなったとか。料理をしてくれていた誰かが家を出て行ったとか。デリバリーアプリがすでにスマホに入っていて、以前より一段少ない手間でボタンを押せてしまうとか。どれも「食」そのものについての決断だと感じられないからこそ、テイクアウトが増え、座って食べる回数が減り、朝食が気づかないうちに抜かれるようになっても、「あの日から変わった」と指させる瞬間は一つも残らない。
淡々とした記録が実際に見せてくれるもの
これを正直に確かめる唯一の方法は、記憶に尋ねるのをやめて、記録に尋ねることだ。何を食べたか、その食事がどんなふうに起きたかを、短い一行にして、思い出したときに書く。すでに使っているカテゴリに入れておけばいい。あらかじめ食事を「良い」「悪い」に仕分ける必要はなく、会議や散歩を記録するのと同じように、実際に起きたことをそのまま書き留めるだけでいい。数週間分をまとめて眺めてみると、パターンはたいてい自然に見えてくる。ほとんどの日に自炊の記録が散らばっている時期と、ほとんどすべてがデリバリーの記録になっている時期。その形は、最初に持っていた漠然とした感覚よりも、はるかにはっきりしている。
二つの時期を並べて読む
もっとも分かりやすい比較は、一週間だけを取り出して眺めることではなく、二つの時期を並べることだ。生活のリズムが変わった直後の一か月と、変わる前の一か月。あるいは今年の春と去年の春。記憶ではこの比較を公平に行えない。どちらの側も、すでに「特に印象に残った食事だけを覚える」という同じ癖によってならされてしまっているからだ。記録はならされていない。そこにあるのは、その結果がどちらに転ぶかまだ知らなかった人が、その時点で実際に書き残したものであり、今のあなたの印象が信じたがっているものとはまったく別のものだ。
TimeMapは、こうした記録をあらかじめ計画しなくても残せるようにできている。今何をしているかを一行書き、カテゴリに色をつける——標準のカテゴリには「食事」も含まれている。記録が十分な日数分たまったころに、二つの時期を並べて何が変わったかを見るのは、ごく自然なことになる。
「今の自分は本当に食生活が良くなったのか」という問いに対する正直な答えは、記憶が真っ先に差し出してくる、あの自信たっぷりの「はい」でも、あの後ろめたい「いいえ」でもないことが多い。答えはたいていその中間にあり、誰にもわざわざ記憶されなかった、ありふれた食事の積み重ねでできている。そして記録こそが、そのありふれた食事を十分な数だけ留めておき、本当の答えへとつなげてくれる唯一のものだ。