TimeMap

TimeMap / ガイド

なぜ時間計測アプリは、始める前に「どれくらいかかるか」を聞いてくるのか

時間計測アプリを開くと、まず聞かれるのはその作業の中身ではなく、ひとつの数字です。これはどれくらいかかりそうか。どの予算に計上するのか。どの目標時間に対して記録するのか。作業はまだ一秒も始まっていないのに、すでに未来を予測させられています。

見積もりは、比べる相手を用意するために存在する

ストップウォッチがひとりで出す所要時間は、それだけではあまり意味を持ちません。四十分という数字は、それが速かったのか、遅かったのか、だいたい想定どおりだったのかがわかって初めて意味を持ちます。事前の見積もりは、そのための相手役です。見積もりと実績、予算と実費、計画と実際に起きたこと——比較することこそが、多くの時間計測の目的そのものだからです。比較するには、時計が動き出す前に予測を記録しておく必要があり、そうでなければ、あとから出てくる数字には並べる相手がいません。

これは、時間計測がもともと想定していた場面ではまったく理にかなっています。固定価格で仕事を請けたスタジオは、見積もりが当たっていたかどうかを知る必要があります。次のスプリントを計画するチームは、前回の予測がどこでずれたのかを見て、次の予測の精度を上げたいと考えます。こうした場面では、事前の数字は余計な手続きではなく、そもそも何かを測ろうとしている理由そのものです。

ところが、たいていの作業は正直に見積もられることを拒む

その数字を求められるのは、たいてい作業の実際の姿がまだよくわかっていない段階です。「すぐ返せるはずのメール」が、結局三往復のやり取りと一本の電話に変わります。「一時間で終わる」はずの用事が、誰にも見積もりようのない行列に阻まれます。レポートのある一節は、頭が冴えている日なら十分で書け、そうでない日なら九十分かかります。見積もりが外れるのは、見積もりが下手だからではありません。作業の本当の姿は、たいていその中に入ってみて初めてわかるものなのに、その数字は定義上、それより前に差し出すよう求められているからです。

先に約束した数字が、静かに作業のやり方を決め始める

所要時間はいったん書かれてしまうと、ただの予測ではなくなり、目標のように振る舞い始めます。三十分と見積もられた作業は、その日どう考えても三十分では終わらないはずのものであっても、三十分の作業として扱われがちです。数字に合わせるために本来必要な手順を省くか、次回は当てやすいように見積もりを大きめに書くか、どちらかです。どちらに転んでも、作業のやり方の一部は、十分な情報がまだないうちに決めた予測を守ることを中心に回り始めます。誰かが制度をごまかそうとしているわけではありません。ただ、先に約束してしまった数字は、いったん存在すると、なかったことにしにくいというだけのことです。

ログは、始まる前に結末を知っている必要がない

こうした話は、そもそもログには関係がありません。ログは、先に何かを言うことを一度も求められないからです。一行を書き始める前に、そこに何が起きるかを予測する必要はありません。実際に起きたあと、それが何だったかを本当に知ってから書きます。外れるかもしれない見積もりも存在しませんし、書き始めた時点で守らなければならない数字もありません。書くという行為自体が、いつも過去だけを向いているからです。「午後はずっとレポートの手直しをしていた、二段落目を何度も書き直したので思ったより時間がかかった」という一行は、外れた見積もりではありません。それはただ実際に起きたことを、先に正しく当てておくべき数字を何ひとつ必要とせずに、一度書き残しただけです。

TimeMapについて

TimeMapは、何かを書き残す前に「どれくらいかかりそうか」を聞くことはありません。見積もりを入力する欄はなく、あとでそれと突き合わせる数字もありません。何かが実際に起きたあとで、そのとき何をしていたかを書くだけで、それが記録のすべてです。

これは記録という方法がいつもしている取引と同じです。計画時間と実際の時間を比べる能力は手放します。その代わり、作業の始まりで、まだよくわからないはずの数字を先に言い当てる必要は、二度となくなります。