TimeMap

TimeMap / ガイド

気分トラッカーと日々の記録の違いは何か

気分トラッカーは毎日同じことを聞いてくる。今日はどうだったか、悲しい顔から笑った顔までのどこかに触れて答える。数秒でタップして、単語を一つ二つ添える人もいる。一か月経つと折れ線グラフが出来上がる。日々の記録が聞いてくるのはまったく別の問いだ。今日がどうだったかではなく、今日に何があったか。どちらも一日数秒で終わる小さな習慣に見えるし、あとで見返すという点も同じに見える。できあがるものは、ほとんど正反対になる。

気分トラッカーが実際に求めていること

設計として速さが優先されている。数字を選ぶ、顔を選ぶ、五秒で終わる。この速さ自体は悪くない。一日を評価すること自体は難しくない。だが、その裏にある問いは見た目より難しい。「今日はどうだったか」は、互いに無関係な十数の出来事を含む一日全体を、悪いから良いまでの一本の軸に押し込めることを要求する。通勤、ひとつの口論、気持ちのいい電話、おいしかった食事、間に合わなかった締切——それらすべてが、アプリを閉じる前に一回のタップへと均されてしまう。

ほとんどの日は、そうした均し方に馴染まない。一日の中に本当につらい一時間と本当に良い一時間の両方が入っていて、どちらもその日を代表していないということはよくある。それでも最終的にタップする数字は、たいてい、その夜アプリを開いた瞬間にどちらの声が大きかったかで決まる。

同じ数字が、いつか同じ意味を持たなくなる理由

評価を重ねていくと、もう一つの問題が現れる。目盛りそのものが、気づかないうちにずれていく。特別なことのない、少し疲れた週につけた「3」と、本当につらい月につけた「3」は、まったく別の理由から同じ数字になっていることがある。片方は何気なくつけた3で、もう片方は「これ以上悪くならなかった」という安堵の3だ。あとになって数字だけの折れ線を見返しても、この二つの3は見分けがつかない。グラフは自信を持って精密そうに見えるが、実際には何も安定したものを測れていない。

もう一つ、中にいるときは見えにくい代償がある。評価は判定であり、低い評価が続くと不合格の通知表のように読める。これが習慣を続けにくくする最大の理由のひとつだ。一回の評価が劇的だからではなく、調子が悪い週にアプリを開くことそのものが身構える行為になってしまうからで、その週こそが本来一番記録しておく価値のある週なのだ。

数字が捨ててしまうものを、一行の記録は残す

日々の記録の一行は、今日がどうだったかを聞かない。何があったかだけを聞く。「妹と旅行のことで揉めて、あとがひどく気が重かった」という一文は、誰にも評価されなくても、その気分をすでに含んでいる。感情はそこにあり、読めばそのまま伝わってくる。ただしそれは理由と一緒に届く。これが気分トラッカーには最初から持てない部分だ。2点という数字は今日が悪かったことを教える。一文は、どの口論のせいで、どの旅行のことで悪かったのかまで教えてくれる。そしてそれこそが、後になって実際に使える唯一の情報だ。

だからこそ日々の記録は、気分の折れ線よりも読み返しに強い。三か月前の数字のグラフが教えてくれるのは、だいたい「あの時期は良くなかった」ということだけで、それは当時からすでに分かっていたことだ。三か月前の記録のページは、その良くなかった時期が実際に何でできていたのかを教えてくれる。多くの場合、より具体的で、当時のその数字が示していたよりも、記憶に対して少し優しい。

気分に気づくのをやめる必要はない

これは感情を記録から外すべきだという話ではない。感情は独立した目盛りの上ではなく、一文の中に住まわせるべきだという話だ。「疲れたけど、ほっとした。ようやくファイルを送れた」は、気分と出来事を一緒に六語ほどで抱えていて、顔をタップするより時間がかかるわけではない。感情は記録から排除されない。変わるのは、それが記録の中で唯一の情報ではなくなること、そして単独で採点されなくなることだ。悪い日がまず悪い数字に変換されないと記録として認められない、ということがなくなる。

TimeMapについて

TimeMapを開いても評価画面は出てこないし、埋めるべき気分の目盛りもない。書いたものの下で長さをこっそり測っているものが何もないのと同じだ。求められるのは、今していたことについての短い一文と、書いた瞬間に刻まれるタイムスタンプ、そして自分で決めた色のカテゴリだけだ。感情がその一文に属するなら、ほかの何かと同じように、そのまま一文の中に書けばいい。

そうして積み上がった一か月の記録は、右肩上がりのきれいな折れ線にはならない。その代わり、その月が実際にどんなものだったかに近いものができる。良くなかった週も、理由を添えたまま残っている。