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TimeMap / ガイド

アプリをやめたら、書きためた日々はどうなるのか

新しい記録の方法を試そうとするとき、最初の一行を書く前に、あまり声には出さない疑問がひとつ浮かぶ。もしいつかやめたら、これは全部どうなるのか。一晩さぼる話でも、一週間空く話でもない。アプリを消し、機種を変え、アカウントのことすら忘れてしまうような「やめる」の話だ。これは疑い深いというより、自分が大事にしているものを、自分でコントロールできない仕組みに預ける前に、誰もが半ば無意識にする計算に近い。

この疑問は、習慣になる前にやってくる

ToDoアプリやタイマー、連続記録を数えるだけの習慣化アプリに、ここまで気を回す人は多くない。そこに入っているものは、失っても惜しくない。三週間前にチェックを付けたタスクはもう意味を持たないし、途切れた連続記録もただの数字がゼロに戻るだけだ。日々の記録は違う。最初の一行を正直に書いた瞬間から違ってくる。そこに入っているのはタスクではなく証拠だ――ある平凡な火曜日に実際に何があったか、誰に会ったか、結果を知る前に何を心配していたか。それを失うことは、ToDoリストを失うこととは重さが違う。まだ書き始めてもいないうちから、心のどこかはそれをすでに知っている。

二つの違うリスクが混同されがちだが、本当に大事なのは一つだけ

この不安はたいてい「もしこのアプリがなくなったら」という形で語られる――会社が更新をやめる、買収される、サーバーが止まる。ソフトウェアには実際に起こりうることだが、ここで本当に大事なリスクはそこではない。アプリがまるごと消えても、書きためた記録は無傷のまま残ることがある。逆に、アプリは何年経ってもそのまま動き続けているのに、記録は実質的にもう取り出せなくなっている、ということも起こりうる。この違いを分けるのは、そのアプリの将来ではない。アプリがまだ元気に動いている「今」、自分の書いた言葉がどんな形で保存されているか、それだけだ。

そのソフトでしか開けないファイルは、まだ本当には自分のものではない

多くのソフトは、データをそのソフトにしか理解できない形――言葉そのものではなく、そのアプリの機能を中心に組まれた構造――で保存している。そこに千件の記録を書き込んでも、できあがるのはアーカイブではなく、たった一社にしか、しかもその会社が決めた条件でしか、取り立てられない借用書のようなものだ。書いた言葉そのものは本物でも、その特定のアプリと特定の端末を離れたとき、それを使って何ができるかはまた別の話になる。

日付を添えたただの一文には、その心配がない。どこかの会社のサーバーが動いている必要も、アカウントが有効である必要も、サブスクリプションを払い続けている必要もなく、ただテキストとしてどこかに存在してさえいれば、また読み返せる。それは、文章が持ちうる形の中でも、かなり長持ちする部類に入る。

本当に効く判断基準は、アプリの将来とは関係がない

五年後にその会社がまだ存在するかを予想するより――どんなに盤石に見える会社についても、それを保証できる人はいない――もっと狭くて実際的な問いを立てるほうがいい。今日この時点で、自分の書いた言葉を取り出して、別の端末や別のアプリ、あるいはアプリなしでも読める形にできるかどうか。できるなら、そのアプリの将来はもう自分の記録が依存するものではなくなる。書くのに都合のいい場所であって、言葉を閉じ込める容器ではなくなる。できないなら、それは八百件目の記録の後ではなく、一件目を書く前に知っておく価値がある。

TimeMapについて

TimeMapの記録は、一文と色と日付だけでできている。そしてアプリの中でしか読めない形に閉じるのではなく、日誌そのものを書き出せる仕組みも用意してある。いつか離れることがあっても、アプリを残すか記録を残すかを選ばされることにはならない。

「やめたらどうなるか」と問うのは、始めない理由を探すためではない。その答えが拍子抜けするほど平凡であることを確かめるためだ――大したことは起きない。その言葉は最初から、一つのアプリだけに握られているつもりで書かれたわけではないからだ。