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TimeMap / ガイド

一日の記録はテンプレートを使うべきか、自由に書くべきか

一日を記録しはじめて最初の一週間のうちに、たいてい同じ問いにぶつかる。気分、体力、今日のハイライト三つ、点数——そういう決まった型を毎日埋めていくべきか、それとも何もない空欄に、思いついたことをそのまま書けばいいのか。テンプレートのほうが誠実なやり方に見える。何を書けばいいか分からず固まる、という事態を確実に防いでくれるからだ。ただし、それが宣伝してくれないこともある。ほとんどの日は、あらかじめ決めておいたその型にきれいには収まらない。無理やり型にはめ込むことは、記録そのものをやめたくなる気持ちを、ゆっくり静かに育てるやり方でもある。

テンプレートが最初は安全に感じられる理由

疲れた夜に真っ白な欄と向き合うのは、実際つらい。書くことがないからではなく、書けることが多すぎて、どこから書き始めればいいか分からないからだ。テンプレートはこの問題を一瞬で解決する。三つか五つの項目を渡して、それに答えればいいだけにしてくれる。しかも、あとになって魅力的に思える約束もついてくる。まったく同じ形の記録が三十日分そろえば、比べやすく、ざっと眺めやすく、グラフにもしやすいはずだ、という約束だ。テンプレートの魅力のほとんどは、この約束にある。そして、この約束を実際には果たしきれない場所こそが、テンプレートがほころび始める場所でもある。

同じ型が、いつまでも合わなくなる理由

テンプレートは、想像上の「平均的な一日」に合わせて一度だけ作られ、その後は実際にどんな一日であっても同じ型に当てはめられる。「ハイライト」の欄は、語るに値する何かがその日にあったことを前提にしている。ほとんどの平凡な日はその基準に届かないので、欄を空けるか、無理に何かをでっちあげるかのどちらかになり、どちらも本当のことではなくなる。10段階の気分評価は、午後4時までは穏やかで、そのあと違う一日だったとしても、それをひとつの数字に押し込めることを前提にしている。テンプレートの項目は「実際に何があったか」を聞いてはいない。「起きたことを、この形式に翻訳してほしい」と聞いているだけだ。その翻訳の手間は、もともと引き受けるつもりのなかった仕事だ。これを毎日続けていると、記録がいつしかその日についてのものではなく、欄を埋めることについてのものになっていく。

自由な一文が拾い、テンプレートがそぎ落とすもの

自由に書く文章には埋めるべき欄がなく、だから空いたままの欄もない。その日実際にあったことを、思い浮かんだ順番のまま書いていくと、具体的で少し妙な細部がそのまま残る。八か月遅れで梯子を返しにきた隣人。メール一本で済んだはずの会議。ベンチで過ごした十五分が、その日のほかの何よりも意味を持っていたこと。テンプレートには、こうした細部を入れる欄がふつう存在しない。だから書き留められる前に、すでに角が取れて丸くなってしまう。一か月後にまた読み返したくなるのは、まさにそういう細部であって、きれいに整った表ではない。

最後まで残しておく価値のある、ただひとつの型

だからといって、毎回まったくの白紙がいいという話でもない。手がかりが何もない紙には、それはそれで別の意味の「何から書けばいいか分からない」がついてくる。実際に長く続く型は、テンプレートよりもずっと薄い。五つの項目ではなく、自由に書いた一行に、短いタグやカテゴリーをひとつだけ添える。おおまかに「どんな種類の一日だったか」を示す、たった一語でいい。それがあれば、あとで並べ替えたり比べたりする手がかりになるし、その日が本来持っていない問いに答えさせることもない。文章が正直なままでいられるのは、それがどんな形をとるべきか誰も指示していないからだ。タグが役に立つのは、それだけが一貫していればいいものだからだ。

TimeMapについて

TimeMapは埋めるべきフォームを渡してこない。実際に何をしていたかを一行書いて、必要なら色をつける。それだけで記録になる。気分のスケールもなければ、平凡な一日に空いたままの「ハイライト」欄が待っていることもない。構造は色ひとつだけで、文章はずっとあなた自身のものだ。