生理周期のことも日々の記録に書くべきか
生理周期アプリは、開く前からすでにだいたいのことを知っている。14日目、黄体期、予測される開始日まであと3日、小さなカレンダーの輪の上に赤い印。だからその日が実際にやってきて、日々の記録にも書いておこうかと考えたとき、ウェアラブルのコンディションスコアや歩数のときと同じ迷いが顔を出す。もうアプリの中にあるのに、一文書いたところで何が付け足せるのか。
予測は「起きたこと」ではなく「起きるはずのこと」を語っている
あのカレンダーの輪は確かに役に立つことをしている——何か月分もの日付を取り込んで予測に変え、取り込む期間が長くなるほど精度も上がる。ただし予測というものは、定義からして「これから起きるはずのこと」についてのものであって、「実際に起きたこと」についてのものではない。今日はおそらく経血量の多い日になる、あるいは全体的にだるい日になる、と教えてはくれる。天気アプリが「おそらく雨」と教えてくれるのと同じだ。しかし今回の生理痛が、抜けられない会議の最中に始まったことは知らない。本当に効いたのがアプリのおすすめの対処法ではなく、床に横になって足を壁に立てかけた四十分間だったことも知らない。予測が語るのは傾向であって、その日そのものを語るようには作られていない。
もう一つ管理すべきものに変える落とし穴
多くの周期アプリは日付だけでなく、症状の選択、経血量、気分の絵文字、ときには十段階の痛みスコアまで求めてくる。毎日入力していると、それはやがて維持しなければならないもう一つの指標になり、一日でも記入を忘れると身体が普通にしていることが欠損のあるデータセットに変わってしまうような感覚になる。日々の記録には、そういう埋めるべきフォームがない。何かに遅れることもなく、空欄が目立つ欄もなく、19日目を書き忘れたせいで不完全に見える月もない。身体はただその日を過ごしていればよく、記録はそれを一行で言えばいい。残りの日々を、チェックし忘れた項目の連なりとして扱う必要はない。
フェーズという言葉が最初から持つ気のないもの、一文なら残せるもの
「黄体期、24日目」という言葉は、ほとんどどの月にも当てはまり、そのくせ今回について何も説明していない。今回のいらだちが締め切りと重なっていたことも、いつもなら頭痛が来るはずなのに今回は来なかったことも、キャンセルした相手が何週間も会おうとしていた友人だったことも、この言葉は知らない。一文ならそれを受け止められる。お腹が痛くてジムには行けなかったけど、なぜか機嫌はよかった。今週早く寝ていたせいかもしれない。症状のアイコンをタップするより時間はかかるが、18か月後、正確な日付が「去年の春のいつか」にぼやけてしまったころ、その日が実際どうだったかを読んでわかるのは、この一文だけになる。
専用の欄はいらない
だからといって周期のすべての日に専用の記録が必要だという話ではないし、健康アプリのように専用のカテゴリーを与える価値があるという話でもない。眠れなかった夜や、しんどかった通勤を記録するのと同じように、その日の話の一部として本当に必要なときだけ書けばいい。テンプレートの欄を埋めるためではなく。普通に過ぎた日は、記録の一貫性を保つためだけに無理に一文を書く必要はない。書かなくても記録は何も失わない。
本当に一文の価値がある瞬間
そのために取っておくのは、傾向そのものがその月の中心だったとき——はっきりした理由もなく一週間早く来た月、同じ相手との同じ言い争いが周期のたびに同じ数日に重なっていた時期、いつも出ていたはずの症状が今回に限って出なかったとき。こうしたことは、周期アプリのグラフなら色のついた点でほのめかす程度で終わるが、実際に説明できるのは書かれた一文だけだ。点はその週にほかに何があったかを知らないが、一文はその月のほかの記録の隣に置かれることで、それを語ることができる。
TimeMapについて
TimeMapには症状の選択肢も、経血量のスケールも、周期の予測もない。周期を予測するために作られたわけではないし、それを専門にするアプリに取って代わろうともしていない。TimeMapが周期に対して用意しているのは、ほかのすべてと同じもの——時刻と、自分の言葉で書いた短い一文、望むなら添えられる色、その日のほかの出来事と並べて残せる場所だけだ。周期について、その月が終わったあとも覚えておく価値のあることがあるなら、それこそ記録の出番だ。日付はカレンダーがすでに持っている。記録が残すのは、カレンダーが決して書いてくれない、その一文の方だ。