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TimeMap / ガイド

「何をしたか」を記録するべきか、「どれくらいかかったか」を計測するべきか

この問いはたいてい別の形をして現れる。「どのアプリを使えばいいか」という形だ。しかしその下にあるのは、そもそも自分がどんな記録を残したいのかという選択で、これは何かをダウンロードする前に一度自分で決めておく価値がある。記録は何をしたかを残す。計測はどれくらいかかったかを残す。これは同じ問いの二つの聞き方ではなく、まったく別の二つの問いであり、たいていの人は本当はそのどちらか一方しか必要としていない。

それぞれの記録が残すもの

計測された一時間が残すのは数字だ。丁寧にやれば「2時間15分——クライアントA」というラベルもつく。この数字は正確で、あとから説明もできる。しかしその二時間が実際どんな二時間だったかについては、ほとんど何も語らない。うまく進んだのか、途中で誰かに呼ばれたのか、始める前から気が重かったのか。記録された一時間はそこまでの正確さは持たないが、実質のほうはたいてい持っている。「提案書をやっと書き終えた、送ったらほっとした」という一行には所要時間はいっさい含まれていないが、その一時間について数字よりずっと多くを語ってくれる。

どちらの記録がより正直かという話ではない。二つはただ、別のものに注意を払っているだけだ。

「どれくらいかかったか」がつい先に問われがちな理由

所要時間には最初から有利な立場がある。計測できるように聞こえ、計測できるものは厳密に見えるからだ。何かに数字をつけられれば、それを理解できた気になる——今週メールに三時間、昨日は運動に四十分。しかし数字は、それを何に使うつもりかがはっきりしているときにだけ役に立つ。請求書には数字が要る。予算との突き合わせにも数字が要る。自分の一週間を思い出すのに必要なのは、数字よりずっと描写のほうであることが多いのに、人は習慣でつい所要時間に手を伸ばす。状況が求めているからではなく、ただ手が慣れているからだ。

所要時間には出せない、「何をしたか」だからこそ出せるもの

一か月後に本当に知りたいことが何かを自分に聞いてみると、答えが「合計何分だったか」であることはめったにない。もっと近いのは、この一か月で友人に会えたか、仕事は感じていたほど本当にひどかったのか、ほとんど覚えていないあの週に何があったのか、といった問いだ。どれも数字では答えられない。答えられるのは描写であり、「どれくらいかかったか」ではなく「何が起きたか」の記録だけがそれに答えられる。一週間分、四十二行の記録を見れば、そのうち十二行が同じ未完了のプロジェクトについてで、連絡しなければと思い続けている人については一行も触れていないことが一目でわかる。同じ一週間の合計時間の表は、そのプロジェクトに十一時間かかったことしか教えてくれず、残りはすべて推測に任される。

一日を計測するのではなく、一日から標本を取る

計測は、そうしなければ合計が狂ってしまうという理由で、一日をずっと説明し続けることを求める。記録にはそんな義務はない。一日のうち何か所かで、そのとき何をしていたかを数行書いておくだけで、あとからその日の形を組み立て直すのに十分だ。撮っていない旅行でも、数枚の写真さえあれば思い出せるのと同じだ。八時間分をすきまなく説明しきったことを証明したいわけではない。一日が進んでいくそばから標本を取っているだけで、正直な標本がいくつかあれば、抜け目のない合計ひとつよりも、その日についてずっと多くを語ってくれると信じている。

この二つが一緒くたに売られてきた経緯

この選択が実際よりも難しく感じられる理由の一部は、市場での売られ方にもある。多くのアプリが両方を約束する。時間を計測しながらメモも書けます、というふうに。まるで数字にくっついたメモが、両方のいいとこ取りであるかのように。しかし実際に使ってみると、たいてい両方とも中途半端になる。オン・オフを覚えておかなければならない計測タイマーと、たいていの人が結局空欄のままにしておくメモ欄。注意力はすでに、計測を開始して止めるという動作のほうに使い切られているからだ。自分に本当に必要なほうを選べば、もう片方をそこまで惜しく思うことは少ない。

「どれくらいかかったか」が本当に問われるべきとき

所要時間がまったく重要でないと言いたいわけではない。クライアントや雇用主、会計士など、あなた以外の誰かが説明のつく数字を必要とするなら、そのときはその一部分だけを計測すればいい。それ以上広げる必要はない。問題は、誰にも監査されることのない生活にまで、その基準を持ち込んでしまうことだ。一週間の大半は、異議申し立てに耐える必要などない。あとで自分にとって役立つ程度に正確に覚えていられれば十分で、読むのが自分しかいないなら、描写のほうがほとんどいつも数字より役に立つ。

TimeMapが向いているのは、まさにこの後者のケースだ。何をしていたかを一行書き、色をつけて、そのまま日常に戻る。裏側で時間を計測し続けたり、合計を積み上げたりするものは何も動いていない。合計は最初から目的ではないからだ。あとから戻ってくるのは、ほかの週と並べて見比べられる形であって、説明を求められる数字ではない。

だから最初の問いに正直に答える方法は、もうひとつ別の問いを先に立ててみることだ。この記録を、自分以外の誰かがいつか読むことはあるだろうか。答えが「ない」なら、自分が本当は何を求めていたか、もう分かっているはずだ。