恋しいのはその人なのか、それともその人と過ごしていた日課なのか
友人が別の街に引っ越した。ある関係が終わった。気の合っていた同僚が異動になった。それから数週間経って、一日のうちの決まった時間帯に、低く、はっきりとした痛みがあることに気づく。それを「恋しい」と呼ぶのは、いちばん手近な名前だからです。けれど本当に静かになったのは、その人そのものというより、その人のまわりで積み重ねていた小さな日課の連なりだったということもあります。そして記録は、そのどちらなのかを教えてくれる数少ない手がかりのひとつです。
その痛みは、出どころを名乗ってくれない
感情には出典が添えられていません。夜の七時、あるいは日曜の朝、あるいはいつもなら仕事を終えている時間に、ぽっかりと穴が空いたように感じる。その感覚自体は本物ですが、それが「その人」についてのものなのか、それとも「その時間にいつも起きていたすべてのこと」についてのものなのかまでは教えてくれません。記憶は自動的にラベルを埋めようとし、ほとんどの場合、いちばん大きくて分かりやすい名詞に飛びつきます。その人という名詞に。その人を取り巻いていた習慣のほうは、起きていたあいだは名前を必要としなかったので、ほとんど名指しされることがありません。
日課とは、ひとりの人物を指す小さな瞬間が何十も集まったもの
たいていの関係は、カジュアルなものであっても、繰り返される小さな瞬間の足場によって支えられています。同じ会議の前に飲むコーヒー、同じ犬を連れて歩く道、同じ曜日の夜にかかってくる電話、その机の前でしか成立しない冗談。そのどれひとつをとっても、それ自体が関係そのものではありません。けれど数はかなり多く、その人がいなくなると、それらすべてが同時に静かになります。一週間から抜け落ちるのは「その人」という一つのものではなく、たまたま同じ名前が貼られていた、十いくつもの小さな決まりごとなのです。
人を恋しく思う気持ちと、生活のリズムを恋しく思う気持ちは、内側からは同じに感じられる
ここが、この問いが感覚だけでは答えにくい理由です。大切な人を失うことと、慣れ親しんだ週のリズムを失うことは、どちらも同じ時間帯に同じ締めつけとして現れることがあり、どちらの糸が切れたのかを教えてくれる内部センサーはありません。ある人は失恋のあと何か月も、自分はまだ相手を愛しているのだと思い込んでいましたが、よく見ると、その痛みはほとんど日曜の夜と以前よく行っていたあの店に集中していました。恋しかったのは相手そのものというより、その日課でした。逆のこともあります。日課のほうはすんなり調整できたのに、痛みは正真正銘その人についてのもので、共有していた習慣とは何の関係もない瞬間に現れる、ということも。
記憶にはできなくて、記録にはできること
記憶はハイライトだけを残し、日程のほうは手放してしまいます。記録は、あとで役に立つかどうかにかかわらず、日程のほうを残しておいてくれます。その人がまだそばにいた数か月のあいだ、自分が何をしていたかを書き留めていたなら、記憶だけでは持ちえないものが手元にあることになります。相手との間に実際に何が、いつ、どれくらいの頻度で繰り返されていたかという、ありのままのリストです。それと並べて、相手がいなくなったあとの日々がどんな様子だったかという、もうひとつのリストも手に入ります。書いていた当時に何かを解釈しておく必要はありません。ただ書かれていたということだけが必要です。
「その前」と「その後」を並べてみる
ここで、二つの期間を並べてみることが、ひとつの記憶だけでは決してできないことをしてくれます。その人がまだそばにいたころの数週間と、今の数週間を並べて、ずっと語り続けてきたあの一つの感情ではなく、一件一件、実際に何がどう違うのかを見てみる。もしかすると、火曜の夜だけが本当にぽっかり空いていて、週の残りはいつもどおりかもしれません。あるいは、その時期の記録のほとんどにその人がどこかしら登場していて、変わったのはある一枠ではなく、一週間全体の形だったということもあります。どちらの答えも意味があり、そのどちらも、あの痛みだけからは手に入りません。
答えはたいてい「両方」で、それはがっかりする結論ではない
たいていの場合、正直な読み方は、きれいな二択ではありません。その人自身が恋しい、それは記録がまっすぐ指し示せる一つか二つの瞬間としてある。同時に、その人のまわりで育っていった日課も恋しい、それはそれで本物の喪失であり、独自の形と、独自の薄れ方の時間割を持っています。両者を見分けることは、その感情を間違いだと証明することでも、「単なる日課」ならカウントしなくていいと言うことでもありません。誰かと一緒に築いた日課は、それでもその人と一緒に築いたものです。どちらがどちらかを知ることは、ただ、ぼんやりした塊全体をその人の名前で呼んでしまう代わりに、自分が実際には何を悼んでいるのかを知るということです。
TimeMapについて
TimeMapは、そのとき何をしていたかを淡々と一行残すだけなので、誰かが自分の日々の一部だった数か月も、特別に印がつくわけではなく、他の日々と同じように記録の中にただ存在します。あとになって、「その前」の期間と「その後」の期間を並べて、一件一件、実際に何が変わったのかを読み返すことができます。それが人についてのものなのか、その人が残していった日課についてのものなのか、決して教えてくれない一つの感情に頼る代わりに。