自分が友達に実際どれくらいの頻度で会っているか、どうすればわかるのか
「あの子とはしょっちゅう会っている」と「あの子とはもうほとんど会っていない」。この二つは、同じ友情について、一年隔てて語られることもあれば、まったく同じ半年間について、誰に聞くかだけで変わることもある。どちらの言葉も、実際に数えた結果ではない。数えるかわりに、ある感覚がその場を埋めているだけであり、その感覚は見た目よりもずっと当てにならない。
「頻度」は記憶がいちばん苦手とするものの一つ
特定の友達とどれくらいの頻度で会っているかを尋ねると、たいていの人はすぐに答える。「二週間に一度くらいかな」「前ほどは会えていない」「かなり頻繁」。この即答ぶりは、実はあてにならない。実際に参照されているのは、会った回数の一覧ではなく、印象に残ったわずかな出来事だ。誕生日の食事、週末の小旅行、引っ越しを手伝ってもらった日。こうした瞬間は鮮明なので、その間にどれだけ普通の空白があったかとは関係なく、「最近」で「頻繁」に感じられる。今年すばらしい夜を三回過ごした友情も、三年かけてすばらしい夜を三回過ごした友情も、「よく会っている」というまったく同じ感覚を生み出しうる。その感覚は、そもそも回数を数えて作られたものではないからだ。
これは性格の欠陥でも、その友情が大事ではない証拠でもない。ただ、記憶とはそういうものだというだけのことだ。記憶は物事の意味を留めるのは得意だが、物事の回数を留めるのはかなり苦手であり、「頻度」はまさに回数の話である。
二つのずれ方は違って見えて、根っこは同じ
多く見積もるほうは、カレンダーに驚くという形で現れる。先月会ったと確信していたのに、実際には四月だったとわかる。少なく見積もるほうは、いらない罪悪感という形で現れる。ある友情をずっとおろそかにしていたと感じていたのに、実際に調べてみると、連絡はずっと安定していて、ごく普通に続いていた。ただ、記憶に残るような出来事を一つも生まなかったので、何も引っかからなかっただけだ。どちらも根っこは同じで、「頻度」の感覚はほぼ印象的な出来事だけで作られており、印象的な出来事は、実際の頻度を測るサンプルとしてはかなり偏っている。
二つ目の方向は、静かに害を及ぼす分、特に立ち止まる価値がある。実際の回数の裏づけがないまま「自分は友達づきあいが下手だ」と思い込んだ人は、すでに失敗していると感じるあまり、さらに距離を置いてしまうことがある。本当の回数が最初から問題なかったのなら、これはまったく逆の行動をとっていることになる。
書き残した記録は、感覚にできないことをしてくれる
ここで役に立つために、記録は友情の温かさをまるごと保存する必要はない。ただ、名前が一つ、日付とともについていればいい。その日に何をしていたかを普通に書き留める延長として、それで十分だ。日付のついた行の中にその名前が十分な数だけ残っていれば、問いは「どれくらいの頻度で会っている気がするか」から、実際に確かめられる問いへと変わる。数か月分をさかのぼり、名前を探し、数える。
出てくる結果は、たいてい劇的ではなく、しかも感覚が予想していたのとちょうど逆であることが多い。疎遠に感じていた友達が、実は四か月で九回も記録に登場していた。ただそれが分散していて、感覚を裏づけるほど印象的な一回にまとまらなかっただけだ。逆にいつも会っている感覚の友達が、実は半年で二回だけで、しかもどちらも同じ長い週末のものだった。どちらの結果も、その友情への判定ではない。ただ、推測が数字に置き換わっただけであり、それは関係を採点表に変えることとはまったく別の話だ。
数字を、通信簿にしないで読む
正直な回数は情報であり、それを手にした瞬間、すぐに点数をつけたくなる。四か月に九回は多いのか、少ないのか、十分なのか。その衝動は、こらえたほうがいい。友情に正しい頻度というものは存在しないし、書き残した記録は、その空白が重要かどうかまでは教えてくれない。空白が存在すること、それだけを教えてくれる。記録が本当に役に立つのは、もっと具体的で狭い問いから推測を取り除くときだ。これは実際に変わったのか、それとも変わった気がしているだけなのか。ある名前について、今年の回数を去年と比べたり、引っ越しや転職の前後の季節を比べたりすると、感覚だけでは決してわからないことが見えてくる。連絡が減ったのには名前をつけられる理由があるのか、それとも誰も何も決めないまま、ただ静かに薄れていっただけなのか。
TimeMapについて
TimeMapでこれが確かめやすいのは、名前がただ、書いた一行の一部にすぎないからだ。専用の連絡先機能も、関係性のスコアもない。その日に話題にのぼった誰かが、その日の記録に紐づいているだけである。十分な回数出てくる名前は、自分だけの「巡回できるタグの球」の一部になり、あとから数か月分をさかのぼって、その人についてだけ読み返すことができる。いま感じているその友情の「感じ」に頼る必要はない。
これは誰かに点数をつけるためのものではない。「どれくらいの頻度か」は、感覚がうまく答えられず、日付のついた一行のほうがうまく答えられる問いだ。どちらに頼っているのかを知ることで、次にすることも変わってくる。空白が本物だとわかったから連絡を取るのか、あるいは調べてみたら何もおろそかにしていなかったとわかって、安心して気にするのをやめるのか。