同じ月を去年と比べるには、どうすればいいのか
「今年の9月は、去年の9月とくらべてどうだったか」——これは頭の中にすでに答えがありそうな問いに聞こえる。実際に思い出そうとすると出てくるのは、比較の結果ではなく気分だ。今年のほうがしんどかった気がする、今年のほうが楽だった気がする、あるいは毎年同じような気がする。この感覚が、実際には一度も行われていない比較の代わりを務めてしまっている。一か月というのは、それ自体の形を持つには十分な長さがありながら、その形を二つ分同時に記憶が保っておくには足りない長さでもある。
「月」は記憶が二回分は抱えきれない長さ
一週間は短いので、中で何か印象的なことがあれば、一年後でもその手触りをどこか覚えていられることがある。一年は長いので、記憶は細部を早々にあきらめて、「引っ越した年」「うまくいった年」「しんどかった年」といった一言のラベルを代わりに渡してくる。月はちょうどその中間の長さで、この中途半端さこそが、記憶だけで比べるのを特に頼りなくしている。一週間のように生々しく思い出すには長すぎ、一年のように一言でまとめられるほどには短すぎる。だから今年の9月と去年の9月を比べようとすると、たいてい手元にあるのは二つの月ではなく、今年の月に貼った曖昧なラベルと、去年の月についてはほとんど何もない状態で、その空白はその年全体について覚えていることで埋め合わされてしまう。
同じ月を年をまたいで比べるのが、そもそも奇妙な理由
今週と先週を比べるのは、少なくとも最近実際に身を置いていた二つの期間を比べることになる。今年の9月と去年の9月を比べるのは、一年分をさかのぼり、その間に起きたすべてを通り越して、二つの特定の断片だけを、前後の月に染まらせずに取り出して並べることを求める。ところが実際には、前後の月がひっきりなしに染み込んでくる。去年の9月のすぐあとに本当につらい10月が来ていたら、9月そのものは何も変わっていないのに、その後に起きたことに引っぱられて記憶の中で色が沈む。記録にはこの問題がない。書かれた時点では、10月に何が起きるかまだ分かっていないからだ。
二つの9月で、実際に違いが出やすいところ
気分ではなく実際の記録として二つの月を手にしたとき、探す価値のある違いはたいてい劇的なものではない。「良かった」「悪かった」よりずっと静かなものが多い。
- 月の始まり方。新学期、プロジェクトの立ち上げ、季節の変わり目——月の最初の一週間は、その後も続くかどうかに関わらず、その月がどう記憶されるかの調子を決めてしまうことが多い。
- 誰が登場しているか。去年の9月には半分近く出てきていた名前が、今年はまったく出てこない——これは「今年の9月は雰囲気が違った気がする」という感覚より、ずっと正直な手がかりになる。
- 色がどこに寄っているか。カテゴリに色がついているなら、ほとんど一色に寄った9月と、色がまざっているもう一つの9月は、一行も読まなくても違いが見て取れる。
- 日課が何を軸にしているか。一年隔てた同じ月でも、まったく別のものを軸に組み立てられていることがある。もう存在しない通勤、終わってしまった講座、あとから始まった習慣。
ここまでのどれも、所要時間を必要としない。「6時までに机に戻った」と書かれた二行だけでも、それだけで比較は十分に成り立つ。
落とし穴——何かが起きた9月を、ふつうの9月と比べてしまうこと
人を最も誤らせる比較は、引っ越しや、何かを失ったこと、転職、診断など、実際に何かが起きた月を、別の年のこれといって何もなかった月と並べて、最初から同じ種類の月であるかのように判断してしまうことだ。読み比べれば当然違って見える。それはわざと違っていたのであって、その違いはあなたの生活全体が良くなったか悪くなったかとは何の関係もない。何かが起きた月は残しておく価値も、読み返す価値もある。しかしそれは、その年の「ふつうの月」の代わりにはならない。代わりとして扱ってしまうと、たいていはすでに知っていたこと——その年にはその出来事が起きた、ということ——を確認するだけに終わる。
本当の違いが見つかったとき、それはどんな形をしているか
気づく価値のある違いは、結論よりずっと静かだ。去年の9月では全体の三分の一を占めていたカテゴリが、今年はほとんど消えている。かつてはこの月に毎週のように登場していた名前が、春以降一度も出てきていない。去年の同じ月の二倍の記録が残っているのに、それを説明できるような単発の出来事は見当たらない。これらは点数ではない。あなたの一年の中で毎年めぐってくる、この特定の一断片が、実際にどう形を変えたかについての観察であり、「今年は全体としてうまくいっているか」とは別の、もっと使いみちのある問いだ。
TimeMapはすべての記録をその日付に紐づけて残すので、違う年の同じ月を並べるには、頭の中で両方を同時に保持しようとする代わりに、カレンダー上で両方を開くだけでいい。カテゴリも、色も、実際に使っていた言葉も、推測ではなく並べて見られる。どちらの9月が良かったかは教えてくれない。それぞれの9月に実際に何が入っていたかを見せてくれるだけだが、それこそが本当に知る価値のあることだ。
次に「今年のこの月は去年と似ていたか」という考えが浮かんだときは、記憶だけではまだ正直に答えられないということ、そしてその問いはずっと答えられるものだったのに、今立っている場所からではなく、記録を見に行かなければ答えられなかったのだということを、思い出す価値がある。