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TimeMap / ガイド

休暇のあいだ、なぜ記録が止まってしまうのか

休暇に入る前の週まで、記録は普通に続いていた。何でもない火曜日、通院の予定、静かな夜。そこに親戚が集まってきたり、実家に帰ったりすると、記録はぴたりと止まる。書くことがないからではない。決まった時間割もなく親戚でいっぱいの家は、一年のうちでもとりわけ出来事の多い時期のひとつだ。止まるのは、ふだん一行を書きやすくしてくれているものを、休暇がまっさきに奪ってしまうからであり、普通の記録がそれにどれだけ頼っていたかは、なくなってみるまでほとんど気づかれない。

一行を書く手がかりだった区切りが消える

普通の週なら、記録を書くのにあまり迷いはいらない。一日そのものに、起きる、出かける、昼休み、帰る、夕食、就寝という区切りがもともと用意されているからだ。その隙間のどこかに一行を置けばいい。休暇はその区切りをすべて取り払ってしまう。誰もが違う時間に起き、食事は誰か手が空いた人が作りたくなったときにでき、一日の始まりと終わりを示す通勤もない。記録を書くことは「次の明らかな隙間を埋める」作業から、「そもそもこの一日がどこで区切れるのかを考える」作業に変わってしまう。十秒で終わるはずだった習慣にしては、少し要求が大きすぎる。

一日が前の日と区別できなくなる

普通の週が書きやすいのは、それぞれの日に他の日と違う何かがあるからだ。火曜日には会議があり、木曜日には授業があり、金曜日には会う人が決まっている。休暇のあいだは、何日も続けてだいたい同じ形をしていることがある。同じ家、同じ顔ぶれの親戚、順番を入れ替えただけの同じ三つの過ごし方、似たような時間の食事。水曜日に「みんな集まって、料理して、何か見た」と書き、木曜日にもまた似た一行を書くのは、同じ一日を二回記録しているように感じられてしまう。実際にはその二日の中身の会話も細かな瞬間もまったく違うのに、そう見えてしまう。この「同じ」に見える感覚は、短い言葉にまとめたときの表面だけの話であって、一日そのものが同じなわけではない。それでも、その瞬間には習慣を続ける意味が見えなくなるには十分だ。

家族に囲まれていると、自分だけの一行を書く感覚が変わる

記録はふだん、ちょっとした五分の隙間に書かれることが多い。お湯が沸くのを待つあいだ、通勤の途中、家が静かになった夜。休暇はその独りになれる時間を、いつもの生活リズムごと奪ってしまう。部屋にはほとんど誰かがいて、夜のあの静かな時間まで誰かが起きていたり、スマホで何を見ているのか気になられたりする。わざわざ集まってくれた家族のいる部屋の中で、自分だけの一日について一行を書くために席を外すことは、それが誰かを無視することとは何の関係もないとわかっていても、タイミングを間違えているように感じられてしまう。

空白になった期間が、実際より大きな失敗に見えてくる

みんなが帰り、いつもの生活リズムが戻ってくる頃には、記録には二、三週間分の穴が空いていることがある。しかもそれは、その一年でもとりわけ出来事の多かった時期と重なっている。仲直りで終わったけんか、生まれたばかりの甥や姪に誰かが初めて会った瞬間、来年はもう同じようにはできないかもしれない親との会話。そのどれも書き残されていない。この空白を、いちばん役に立つはずだった時期に限って習慣が続かなかった証拠だと読みたくなる。だが空白が語っているのはそういうことではない。この期間には、記録がふだん頼りにしているいつものリズムがそもそもなかったということであり、だからこそ前後の週とは違って見えているだけなのだ。

実際に再び書き始めるきっかけになるもの

再開するために、抜け落ちた二、三週間を記憶から埋め直す必要はないし、その空白を説明する一行を先に書かなければ今日が数えられない、ということもない。そんなことをすれば、習慣は途切れるたびに借りを返さなければならないと思い込んでしまい、次に途切れたときにかえって戻りにくくなるだけだ。今日が実際にどんな一日かをそのまま書けばいい。自分のベッド、自分の生活リズム、また一行を書く手がかりになる区切りが一つか二つあれば、それで十分だ。

TimeMapは、一行の記録にその前の日々についての説明を求めないし、何日分が抜けたかを数えて示すこともしない。今この日に実際に起きたことを書いて色をつければ、それがどれだけ間が空いたあとであっても、そのまま記録の中に収まっていく。説明も、埋め合わせも必要ない。

多くの人にとって、休暇は一年のうちでいちばん記録の少ない週のままだろうし、それはその週の中身を考えれば十分に見合った代償だ。落ち着いてから本当にやる価値があるのは、抜けた日々を記憶から埋めることではない。そのころには記憶はもう、あの日々を一つのぼんやりした塊にならしてしまっている。そうではなく、休暇明けの最初の何でもない一日のうちに記録を再開すること――その一日の細かさまでが同じように薄れてしまう前に。