昔夢中だったことを、なぜ忘れてしまうのか
3月は誰かに会うたびその話をしていました——買ったばかりのパン焼き器、ランニングの計画、始めたばかりの語学アプリ、ベランダに積まれた木工道具。7月になって誰かに進み具合を聞かれ、自分が何を始めていたのか思い出すのに一瞬かかる。劇的な出来事は何もありませんでした。「やめよう」と決めた日もありません。ただその話をしなくなっただけで、しかもいつやめたのか自分でも気づいていません。
熱意は終わるのではなく、繰り返されなくなるだけ
別れには具体的な日があります。退職にも具体的な日があります。趣味への興味が薄れることには、それに当たるものがありません。最後の一回もなければ、「今日でやめる」とカレンダーに書かれる日もありません。実際に起きているのは、それをする間隔が少しずつ延びていくことだけです。しかもどの一回の間隔を取っても、特に異常には見えません。パン焼き器に二週間触れなくても、それはただの忙しい二週間に見えます。そういう二週間が六回、七回と積み重なって初めて、振り返ったときにそのパターンに名前がつきます——もうやっていない、と。
目印になる出来事が何もないので、記憶には「ここで変わった」と記録する場所もありません。熱意はただ薄まっていき、気づけば消えていて、その消えた瞬間を探しに戻っても、そんな瞬間はそもそも存在しなかったことになります。
なぜ記憶だけではこの変化を捉えられないのか
記憶は鮮やかなもの、意外なもの、感情の動いたものを残すのは得意ですが、「頻度」を残すのはほとんど不可能です。「以前は数日おきにやっていたのに、今はやっていない」というのは、記憶がもともと保存するようにできていない種類の事実です。その中に際立った瞬間が一つもないからです。木工道具のことをまったく考えなかった火曜日は、それ単体では何の変哲もありません。そんな火曜日が九十回続けば、それが全体の話になりますが、一日ずつを取り出しても、気づく理由は何もないのです。
だからこそ、この気づきはたいてい外側からやってきます。友人にその話を聞かれたり、道具が隅でほこりをかぶっているのを見たり——その瞬間になって初めて、不在に気づきます。自分の内側だけに任せていたら、この消失はいつまでも見えないままだったはずです。
実際に見えるのは記憶ではなく頻度
書き残した記録には、この死角がありません。何かが「際立つ」必要がないからです。以前よく出てきた言葉が、今は出てこなくなった——それに気づくだけで十分です。「パン焼き器」「木工の講座」「あの語学アプリ」といった言葉が3月に十一回出てきて、5月の第一週以降は一回も出てこなくなったとしたら、二つの月を並べた瞬間にそれは見えます。どれだけ頑張って思い出そうとしても、見えてこないものです。記録は記憶力がいいわけではありません。ただ数えているだけです。そして数えることは、記憶がもともとやらないことなのです。
これは単語だけでなく、カテゴリでも同じです。以前は一週間のかなりの部分を占めていた色が、数ヶ月かけてほとんど見えなくなるほど薄れていく——このパターンはページの上では一目で分かりますが、一日一日を普通に過ごしているだけでは、まず気づけません。
これは必ずしも「直すべきこと」ではない
ここまでの話は、熱意が薄れることを正すべき失敗だと言いたいわけではありません。物事にはもともと季節があります。講座は終わり、プロジェクトは自然な終着点に達し、趣味はその時期の人生で果たすべき役割を果たし終えて、それ以上何も負っていません。熱意が自然に一区切りついたことは、性格の欠陥の証拠ではありませんし、それを映し出す記録も、あなたに判決を下しているわけではありません。ただ、放っておけば見えないままだったはずの事実を伝えているだけです——これは以前、この頻度で生活の一部だった。そして今は、別の頻度で生活の一部になっている、と。
気づいたあと、どうするか
気づくということ自体が、無意識の漂流を、実際に選べる決断に変えてくれます。それこそが気づくことの一番の価値です。パン焼き器をまた取り出すのが答えかもしれません。今なら、それがどれだけの間放置されていたのか正確に見えるからです。あるいは、何もしないのが答えかもしれません——その講座はもう役目を終えていて、儀式めいたことをせずに手放してしまっても、まったく問題ありません。どちらであっても、それは自分で選んだ決断です。気づかないうちに、いつの間にか決まってしまっていたこととは違います。そして書き残されなかったものは、たいていそうやって静かに決まってしまうのです。
TimeMapについて
これは記録が捉えられて、記憶には構造的に捉えられないことのひとつです。TimeMapは、書き残したことすべてに一行とカテゴリの色を残し、その集計はカテゴリ別だけでなく、よく使う言葉別にも積み上がっていきます。だから、以前よく出てきて、あるとき出てこなくなった言葉を、うっすらとした印象ではなく、実際に見ることができます。何かが薄れていったという事実に、点数はつきません。ただそこにあって、ふと熱意がどこへ行ったのか気になった週に、読み返されるのを待っているだけです。