転職活動ばかりだった一日は、どう記録すればいいのか
昼前にいくつか応募を出し、五つ目の違うサイトで同じ三つの項目をまた入力し、夜になってわかるのは二つのことだ。まだ誰からも返事がないこと、そして一行書こうにも、その一日が書くに値する気がしないこと。何も作らなかったし、誰からもお金をもらっていない。その日の大半は、誰かに何かを頼んで、答えが来るのを待つことに費やされ、その「待つ」という行為自体は、何かが起きたようには感じられない。反射的に「応募した」とだけ書いて終わらせるか、その日をまるごと記録しないでおくか。人に頼んで待っていただけの一日は、何かをした一日として数えるに値しない気がしてくる。
「転職活動」は、その探索全体を指す言葉であって、一日を指す言葉ではない
この言葉がそのまま一日分の記録になった瞬間、実害が出る。それは何か月も続く取り組み全体の名前であって、その中の一日に何が起きたかは何も語っていないからだ。転職活動の中の一日は、どれも同じ一日の繰り返しではない。ある日は五件応募して、反応が何もない。ある日はエージェントからの返信が最初の電話につながる。ある日は同じ職務経歴書を六回目も書き直して、一文一文が嫌になる。ある日は不採用の連絡が来て、それでも二週間気になっていたことに一応の決着がつく。「転職活動」という一言は、そのすべてを一つの言葉に押しつぶしてしまう。それは、何も動かなかった一日にも、ひそかに何かが動いた一日にも、同じように当てはまってしまう言葉だ。この二つを区別できない記録は、区別されるべき時期について、あまり多くを記録できていない。
誰かへの進捗報告を書いているわけではない
この記録を誰かが評価しているわけではない。送った応募をすべて記録しようとするのは、ただでさえ無給の宿題のように感じる転職活動の上に、十秒の習慣まで宿題に変えてしまう一番早い方法だ。こういう一日の終わりに、本当に問うべき問いはもっと狭い。その日起きたことの中で、実際に何か一つでも動いたことがあるとすれば何か。あるいは、覚えておきたい感覚が一つあるとすれば何か。
- どのやり取りが、もしあれば実際に動いたか——返信、決まった電話、あるいは少なくとも待つことに区切りをつけてくれた不採用の連絡。
- 転職活動そのものについて決めたこと。もう応募しないと決めた職種や、誰かに聞いたけれどまだ動いていない話。
- その日の実際の感覚。いつもと違ったなら——前より落ち着いていたか、悪かったか、それとも意外と平気だったか。
- 本当に何も動かなかったなら、それも一行の価値がある。応募を送って何も返ってこなかった一日というのは、転職活動のほとんどの日がそういうものだからだ。
果てしなく長く感じた一日から出てくるのも、結局は一、二行で、フォームを埋めた回数を数え上げる記録ではない。
計測アプリでは、すでにわかっていることしか返ってこない
時間を測る道具は「応募に三時間」といった数字を返してくるだけで、それは一行書こうと座る前からわかっていたことだ。こういう一日が本当に投げかけている問いには答えられない。問いは応募にどれだけ時間がかかったかではなく、その結果として何かが起きたかどうかであり、所要時間ではそれはわからない。三時間が有望な返信一つにつながることもあれば、完全な沈黙に終わることもあり、数字としてはどちらも同じに見える。
こういう日々が続いたとき、後から何が見えてくるか
応募して静かなままだった一日を単独で読んでも、たいていは今日は何も返ってこなかったとわかるだけだ。それが一か月分まとまると、一日だけでは見えないものが見えてくる。沈黙が長くなっているのか短くなっているのか。どの職種、どのバージョンの自己アピールが実際に返信をもらえているのか。三週目あたりで、はっきり決めたわけでもないのに、ある種の職種にはもう応募しなくなっていないか。これらはどれも、暗闇に向けて応募を送り続ける一日の内側からは見えない。比べられるだけの記録がたまり、停滞していた時期と、そこから動き出した時期を並べて初めて見えてくる。
TimeMapは、その日に返事が来たかどうかを、記録する前提にはしていない。応募して静かだった一日も、面接が決まった一日も、まったく同じように一行と一色をつけて、誰かが答えたかどうかではなく、実際にそこで起きたことをもとに保存される。後から停滞していた時期を、状況が動き出した週の隣に並べてみれば、そこに見えるのは実際に変わったことであって、記憶の中に「ずっと待っていた」という言葉だけを残して消えていく期間ではない。
この探索が、あとから思い出せない日々を飲み込んでいっているなら、記録に求められることは多くない。今日の一行——何かが動いたことでも、何も動かなかったという事実でも——それだけ書けば、続けていくには十分だ。