TimeMap

TimeMap / ガイド

ゲームばかりしていた一日は、どう記録すればいいか

一日を振り返ると、ほとんどコントローラーと画面の前で終わっていた。そういう日は記録から外したくなります。「また無駄にした」と一言だけ書いて済ませるか、そもそも書かないか。仕事や運動、誰かと会った日と並べるには気が引けるからです。でもその一日はたしかに存在していました。記録しないからといって消えるわけではなく、ただその晩だけ記録に穴が空くだけです。

時間はすでに別の場所で計測されている

Steamでも、家庭用ゲーム機でも、スマホのスクリーンタイムでも、何時間プレイしたかはすでにどこかで自動的に記録されています。その数字自体は嘘ではありませんが、日々の記録が担うべき役割ではありません。ゲームをした一日を「時間の無駄」として捉えるのは、別の道具の物差しを借りてきてしまっているだけです。記録が知りたいのは何時間やったかではなく、その時間に何が起きたか。これはまったく別の問いで、プレイ時間の数字はそれに答えてくれません。

カテゴリではなく、具体的な出来事を書く

他のどんな記録にも当てはまる原則が、ここでもそのまま効きます。ラベルではなく、実際に起きたことを書くことです。

  • 悪い例:ゲーム
  • 良い例:一週間詰まっていたボスを、武器を変えたら二回目で倒せた
  • 悪い例:友達とゲーム
  • 良い例:翔太と深夜1時までランクマ、十一連敗のあとにようやく一勝できた

「ゲーム」というカテゴリは、他の記録での「打ち合わせ」や「運動」と同じように、その日に何かが起きたという事実だけを残して、中身をすべて消してしまいます。ゲームのタイトル、通話の向こうにいた相手の名前、詰まっていた瞬間や急に開けた瞬間——そこがカテゴリの抜け落ちる部分であり、一文が拾える部分です。

ゲームそのものより、そこにいた人が本題のことも多い

ゲームの時間の多くは、実はゲームそのものが目的ではありません。普段はあまり連絡を取らない相手との、毎週決まった通話。長く会っていない友人との関係が途切れずに続いている理由が、実はその協力プレイだったりします。もしその晩がそういうものだったなら、記録には具体的にその人の名前と、何をしながらどんな話になったのかを書いておく価値があります。一年後に「翔太とゲーム」と読み返したとき、それはその週にその友人関係がまだ生きていたという記録になります。「充実していた」日よりも、読み返す価値がずっと高いものです。

ただの気晴らしだった、でも構わない

すべてのゲームの日に、正当化するための理由が必要なわけではありません。ただ大変な一週間の後に起きた、それだけのこともあります。仕事が辛かったので、帰ってから四時間、特に何も考えずにゲームをしていた。この一文は言い訳ではなく、ただの事実です。もし来月も同じパターン——大変な週のあとに長時間ゲームに逃げ込む——が現れたら、それに気づく価値はあります。ただし気づけるのは、その日をきちんと記録に残していた場合だけです。気まずさから記録を飛ばしてしまえば、パターンごと見えなくなります。

ひと月ぶんまとめて見ると

ひと月のうち三、四日がほとんどゲームで終わっていたとしても、それ自体は空白ではありません。空白になるのは、記録しなかったときだけです。具体的に書いておけば、あとから見えてくることがあります。どのゲームが実際に続いていて、どれが一週間で離れたか。どの友人関係が同じサーバーを介して続いているか。ゲームに逃げ込むのは辛い週のあとだけなのか、普通の日にも起きるのか。これらは「ゲーム、3日」という記録からは見えず、具体的な数行の記録からだけ見えてきます。

TimeMapについて

TimeMapには、その晩の過ごし方が良かったかを問う項目はなく、他のことに使った時間と密かに比べる合計欄もありません。一行、時刻、カテゴリの色だけで、ゲームの日も他のどんな日とも同じようにカレンダーの中に収まり、いつでも同じように開いて読み返せます。

その晩は、どう記録するかに関係なくすでに起きています。何のゲームだったか、誰と一緒だったか、それがなぜ良かったのか、あるいは特に何も感じなかったのか——それを正直に書いておくことだけが、来年もう一度読み返せる形でその晩を残す方法です。