引っ越しは、本当に生活を変えたと言えるのか
引っ越して一年ほど経つと、誰かに「実際どうだった」と聞かれる。答えは、聞かれた週によって驚くほど変わる。調子のいい週なら、もちろん良かった、今の生活は前とはまるで違う、と即答できる。何でもない火曜日に聞かれると、正直それほどでもない、ほとんどの日は前と同じで、ただスーパーまで少し歩くようになっただけだ、という気がしてくる。どちらの感覚も本物だ。それ自体が引っかかる点で、実際に起きた事実は、普通、聞かれた日によって答えを変えたりしない。
「生活が変わった」という言葉が、実はかなり曖昧なことを言っている
具体的に何が変わったのかと問い直すと、返ってくるのはたいてい出来事ではなく気分だ。自由になった、軽くなった、自分らしくいられるようになった、というふうに。さらに突き詰めると、その感覚が街そのものによるものなのか、それとも同じ時期に起きた、もっと具体的な何かによるものなのか、区別がつかなくなる。車での移動が徒歩に変わったこと、家賃が変わって他に使えるお金が変わったこと、まだ出会っていない人たち、あるいはもう会わなくなった人たち。これらはどれも街そのものではない。街がそれを起こりやすく、あるいは起こりにくくしただけであって、「街が生活を変えた」とは別の主張だ。この問いに本気で答えようとするなら、気分をそのまま繰り返すのではなく、この違いを見ておく必要がある。
引っ越した月に起きていたのは、引っ越しだけではない
引っ越しだけが単独で起きることは、あまりない。たいてい同じ時期に、転職や退職、恋愛の始まりや終わり、気づかないうちに人生の次の段階に入っていたこと、季節の移り変わりなどが重なっている。カレンダーには「引っ越しのせい」と「同じ時期に起きていた他のことのせい」を切り分ける機能がない。「引っ越してから生活がすごく良くなった」という一文は、たいてい三つも四つも重なった変化をひとまとめにしていて、街はたまたま引っ越しトラックとセットになっているというだけの理由で、その手柄をすべて引き受けてしまう。逆もまた起きる。つらい一年をすべて新しい住所のせいにしてしまうが、よく見れば転職や別れのほうが、実際にはずっと大きく効いていたりする。
どこへ行っても、最初の数か月は薄い
ゼロから生活を組み立て直すのには時間がかかる。それはどの街でも同じで、最初に今の街へ来たときもそうだったはずだ。最初の数か月がどこか宙ぶらりんに感じられるのは、引っ越しが間違いだった証拠ではない。ほとんどゼロから何かを始めるとき、街でも仕事でも学校でも、誰にでも起きることだ。問題はその手応えのなさそのものではなく、その二か月目だけで引っ越し全体の判断を下してしまうこと。前回、何かをゼロから始めたときの、同じくらい早い時期がどんなふうだったかを見ずに済ませてしまうことにある。比べるべきは、似た段階どうしであって、違う段階どうしではない。
引っ越しをまたいで書き続けた記録が、実際に示すもの
ここが、記憶だけでは解決できない部分だ。記憶は、今の調子に合わせて「以前」の姿をこっそり書き換え続けてしまう。平凡な記録はそうならない。書いていた時点で、この先の結末を誰も知らなかったからだ。最初から通して読むと、頼りになる証拠は気分ではなく、「何が何に置き換わったか」という事実だ。以前はほとんどの週で空欄だった項目に、今はほとんどの週で何か書かれている。あるいはその逆。以前は頻繁に出てきた名前が、いつのまにか出てこなくなっている。あるいは新しい名前が頻繁に出てくるようになっている。旅行の記録は減っていく。週末に行ける新しい場所がもうないからだ。人と会った記録は、新しい名前で書かれ続けるか、引っ越し前と同じくらいまばらなままかのどちらかで、どちらであっても、それは一つの答えであり、期待していた答えとは限らない。
引っ越した直後ではなく、何でもない一週間を見る
新しい場所に来たばかりの数週間は、間違った理由でよく記憶に残る。何もかもが物珍しいので、何もかもが目に留まり、記憶に残ってしまう。新しい部屋、乗り間違えたバス、近所で最初に見つけたおいしい店。その鮮やかさは本物だが、すべてが物珍しくなくなったあとの日常がどんなものかを、それは代表していない。到着直後の数週間と、引っ越し前の生活全体の印象を比べるのは、「最初の一か月のハイライト」と「以前のごく普通の記憶」を比べていることになり、公平な比較にならない。本当に役に立つ比較はもっと先にある。引っ越しから九か月、あるいは一年ほど経った、何でもない一週間に実際に何が書かれていたかと、引っ越し前の、同じくらい何でもない一週間を、同じように淡々と並べて読むことだ。出発の週でも、到着の週でもなく、ただの何でもない二週間を。
TimeMapが残すのは、まさにこの種の記録だ。引っ越しがあとで意味を持つかどうかを、あらかじめ判断しておく必要はない。今していることを一行書いて色をつければ、それが古い街での出来事でも新しい街での出来事でも同じようにカレンダーに残り、あとで実際に問いが生まれたときに読み返したり、別の時期と並べて見たりできる。それは「引っ越しは正解だったか」という結論を出してはくれない。できるのは、その判断が、たまたま聞かれた週の気分だけに左右されるのを防ぐことだ。