新しい職場は、前の職場より本当に良くなったと言えるのか
転職して三、四か月もすると、誰かに「実際どうだった」と聞かれる。正直に答えようとすると、もうよく分からなくなっていることに気づく。比べる相手であるはずの前の職場が、実際に働いていた頃のそれとはもう別物になっているからだ。辞めてから起きたことすべてが前の職場の記憶をこっそり書き換えているし、今週の新しい職場の調子次第で、その記憶はさらに姿を変え続ける。
前の職場は、新しい職場の調子に合わせて姿を変える
新しい職場でつらい週があると、前の職場は記憶の中で少しずつ良くなっていく。通勤もそこまで悪くなかった、上司もあそこまで大変ではなかった、少なくとも何がどこにあるか分かっていた、というふうに。逆に新しい職場が順調な週には、同じ前の職場が悪化する。あの頃は明らかに消耗させられていた、辞めるのが遅すぎたくらいだ、と。どちらもわざと作り話をしているわけではない。前の職場を支える独立した記録が何もないので、記憶はそれを都合よく編集するしかない。今の結果が正しかったことにするために、そのときどきで必要な方向へ過去を書き換えてしまう。
新しい職場にも独自のフィルターがあり、それは時間とともに消えていく
新しい職場の最初の数週間にある高揚感は、その職場が実際に良いかどうかとはほとんど関係がない。周りが親切なのは、まだ気を遣わなくていいほど親しくなっていないからにすぎない。席も新しい、システムも新しい、給湯室のコーヒーメーカーまで新しい。目新しさは「良くなった」と錯覚されやすいが、仕事の中身そのものはまだ何も評価されていない。この高揚感は職場の実際の良し悪しとは無関係に、それ自体のペースで薄れていく。つまり入社一か月目に下す判断は、たいてい職場そのものではなく、この新鮮さについての判断でしかない。
本当に変わったことと、変わったように聞こえるだけのこと
「このストレスの少なさは前とは全然違う」という言葉と、「実際に一時間早く退社できている」という事実は、別のことを言っている。細かく見て残るのは後者のほうだけだ。決断を下したこと自体が生む安堵感は、その決断が実際にどれだけ物事を変えたかとは関係なく、前向きな気分を生む。しんどいことを辞めれば、辞めたその日に前に進んだ気になれる。それは、この先どうなるかとは無関係だ。一枚の記録は、どれだけ気持ちが晴れたかには関心を持たない。実際に起きたことだけを持っている。たいていの晩、記録が何時ごろで終わっているか。週末に書かれているのが用事とぐったりだけではなく、それ以上のものかどうか。記録の中によく出てくる名前が、相変わらず出てくるか、出てくる頻度はどうか。以前は空っぽだった項目――趣味、友人、夜の講座――に何か書かれるようになったかどうか。
比較には、辞める前に書かれた「以前」が要る
前の職場にいた頃、辞めることなどまだ話にも出ていなかった普通の日々に書かれた記録は、この問題を思いがけず解決してくれる。辞める理由を集めるために書いていたわけではない。そんな理由はまだ存在していなかったからだ。ただ、ある普通の火曜日に何があったかを書いていただけだ。だからこそ、あとで正直な基準として使える。「実はそんなに悪くなかった」と柔らかくされることも、「明らかに辞め時だった」と鋭くされることもない。書いていた当時、辞めるかどうかはまだどちらにも決まっていなかったからだ。
二つの物語ではなく、二つの普通の期間を並べて読む
役に立つ比較は、「新しい職場についての物語」対「前の職場についての物語」ではない。辞める前のどこにでもある一か月と、今のどこにでもある一か月を並べて、記憶からまとめ直すのではなく、実際に書かれている中身をそのまま読むことだ。たいていの晩、記録が何時に終わっているか。記録によく出てくる三、四人の名前が今もそこにあるか、それとも引っ越しのあたりでいつのまにか消えているか。週末が月曜までに回復し終えているか、それともまだ月曜の記録の中で追いついている途中か。どちらの職場に軍配を上げるかを先に決めておく必要はない。ただ、どちらの期間も、答えをどちらに寄せたいか自分でもまだ分からなかった時点で、同じように、実際にきちんと書かれていればいい。
TimeMapが残すのはまさにこの種の記録だ。どの週があとで意味を持つかを、あらかじめ決めておく必要はない。今していることを一行書いて色をつければ、それはカレンダーに記録され、あとからどの日にでも開き直せる。だから半年後に転職の話が実際に持ち上がったとしても、その前の普通の週々はすでにそこにあり、結果によって手を加えられることなく、そのあとに続く日々の隣に置かれる準備ができている。二つの期間を並べて読み直すことも、ある期間のAIレビューを読むこともできる。今それぞれの職場についてどう感じているかに頼るのではなく、実際に何が変わったのかを見るために。
それが結論を出してくれるわけではないし、そもそも出せるものではない。ある仕事が「より良い」かどうかは、記録が算出できる数字ではない。記録にできるのは、この比較が二つの張り合う物語だけで進んでしまうのを止めることだ――一方は去った職場についての物語、もう一方はまだどう感じればいいか決めかねている職場についての物語で、そのどちらも、実際にその時を過ごしていたときには書き残されていなかった。