最後にそれをしたのはいつか、どうすればわかるのか
「最後に電話したのはいつだったか」「最後に走ったのはいつだったか」「最後にちゃんと顔を合わせて話したのはいつだったか」。こうした問いは誰にでも浮かびますが、その場で正直に答えられることはほとんどありません。頭に浮かぶのはだいたいの季節や月で、しかもその見当は、たいてい同じ方向にずれています。
「何をしたか」は覚えていても「いつ」は覚えていない
その散歩も、その電話も、その食事も、内容ならたいてい思い出せます。どこにいたか、何を話したか。うまく思い出せないのは日付のほうです。ここでは逆向きの二つのずれが同時に起きています。最近の、とくに印象に残らなかった出来事は圧縮されます。三週間前の電話と昨夜の電話が、記憶の中ではほとんど同じ距離に感じられる。どちらも特定の一日に結びつくほど際立っていなかったからです。逆に、遠い過去でも印象が強い出来事は手前に寄ってきます。二年前の旅行が、鮮明に覚えているというだけの理由で「去年のこと」のように感じられる。この現象には名前がついていますが、覚える必要はありません。自分の「いつ」の感覚は、カレンダーではなく、その出来事がどれだけ記憶に残ったかで作られている、ということだけ知っていれば十分です。
その見当は、たいてい甘いほうに寄る
このずれはランダムではなく、ほとんどの場合、実際より最近だったと感じる方向に働きます。だから「わりと最近連絡した気がする」という感覚そのものが、すでに自分に都合よくできています。これは軽い話ではありません。ある友人関係が実際には二か月連絡を取っていないのに、本人たちは「二、三週間くらい」だと思い込んでいる。ひと月前にやめてしまった習慣が、感覚の上ではまだ「この間まで続けていた」ことになっている。誰も意図的に自分を欺いているわけではなく、記憶という道具がもともと日付を正確に記録するようにはできておらず、しかも自分がずれていることに気づけない、というだけのことです。
書かれた記録は、この問題を起こさない
日付つきの一行は、何も圧縮しません。その出来事がどれだけ印象的だったかを気にしないからです。そもそも記憶から書き起こしたものではなく、出来事の前後、近いタイミングでその場で書かれたもので、日付はそのとき淡々と記録されているだけです。後になってその日が重要だったかどうかは関係ありません。ここにある強みはひとつだけです。記憶より正確に覚えているのではなく、そもそも「覚える」という作業自体が発生していない、ということです。
勘を、検索に置き換える
記録があれば、問いは「たぶんこのくらい前」から「探してみる」に変わります。名前でも、単語でも、カテゴリでもいい。それに触れた記録が、新しい順に並んで目の前に出てきます。他の出来事から逆算したり、状況を継ぎ合わせたりする必要はありません。しかも、あらかじめ「これは追跡する価値がある」と決めておく必要すらありません。「母に電話する」という項目を作って記録していたわけではなく、いつも通りその日にあったことを書いていただけです。それでも、母に触れたその一行は、探そうと思ったかどうかにかかわらず、ちゃんと記録の中に残っています。
見つかるのは日付だけではない
その記録にたどり着くと、たいてい日付以上のものが出てきます。その散歩がどんな感じだったか、その電話で何を話したか、その食事がなぜ途中で切り上げになったか。「最後はいつだったか」という問いへの答えは、「最後はどんな様子だったか」という手がかりと一緒にやってきます。そちらのほうが、日付単体より役に立つこともよくあります。時には、日付そのものより、その周りの空白のほうが発見になります。二、三週間おきに出てきていたはずのものが、この三か月まったく出てきていない――そのことに、自分が決めたわけでもないのに、気づかされるのです。
答えがわかったあとにすること
たいていは、何もしなくて構いません。日付を見つけることの意味は、そこに判定を下すことではないからです。「二か月連絡していないのは深刻かどうか」を採点する欄など、記録のどこにもありません。あるのは、勘が事実に置き換わったという事実だけで、それをどう使うかは完全に自分次第です。連絡してもいいし、そのままにしておいてもいい。何もしなくても、「わかっている」という状態そのものが、あいまいな感覚よりいくらか価値があります。
TimeMapはここを検索できる形にしています。一行のテキストと時刻、カテゴリの色を、いつでも開き直せるカレンダーに残し、検索欄に名前や単語を入れれば、それに触れた記録が新しい順に並びます。「最後にいつだったか」を突き止める作業は、記憶をたどる試験ではなく、自分の記録を過去に向かって読み進めていく作業に変わります。
この件で記憶が正確である必要はもともとなく、たいていの場合はそれで困りません。ただ、本当に知りたくなったとき――勘ではなく、確かめたいと思ったときには、記録が「わりと最近だった気がする」を、日付のついた答えに変えてくれます。