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TimeMap / ガイド

週休三日(四日勤務)に変えた前と後、生活をどう比べればいいか

四日勤務に切り替えて数か月たった人に調子を聞くと、たいてい説明ではなく結論が返ってくる。良くなった、時間が増えた、憂うつが減った、なぜ今まで週五日で働いていたのか、と。では何と比べての話かと聞くと、その比較は見た目ほど確かなものではないとわかる。片方は新しい段取りにまだ追われている導入直後の一か月、もう片方は切り替えが必要だと感じた理由によってすでに書き換えられている「週五日勤務」の記憶だ。どちらも、本当に比べるべきものそのものではない。本当に読む価値があるのは、変化の前後にある、誰も書き残そうとは思わなかった何気ない週にある。

導入直後の数週間も、本当の四日勤務ではない

圧縮された勤務体系の最初の時期は、それ自体が独立した出来事であって、この働き方が最終的にどう感じられるかを示すものではない。休みの曜日をどうするか調整し、その曜日にあった会議を別の日に移し、以前は普通に働いていた木曜日が急に空いていることに戸惑い、この休みが無駄ではないと証明したいという圧力を感じる。新しくできた休みの日を、何年も先延ばしにしていたことで埋め尽くして、それだけの価値があると自分に示そうとする人もいれば、その日に何をすればいいのか分からず、結局は週末に分散してやっていた雑用をこなすだけになる人もいる。どちらにせよ、この定まっていない時期を「以前」と比べて出てくる結論は、この移行期そのものについて多くを語っていて、その前後にある実際の生活についてはあまり語っていない。

比較対象にしている「以前」も、すでに書き換えられている

「以前」として持ち出している記憶は、この変化をどう感じているかによってすでに書き換えられている。新しい勤務体系が明らかに良いものだと感じているなら、以前の週五日勤務は実際よりも疲れるものだったと静かに記憶し直される——五つの同じような朝が連なり、息をつく余裕もなく、自分のための時間など何もなかった、というふうに。逆に、この変化にリスクを感じていたり、会社がそれを自分が完全には納得していない効率化実験のように扱っていたりした場合は、以前の勤務体系のほうが実際より規律正しく信頼できるものだったと記憶され、新しい体系がそれと比べて賭けのように見えることもある。どちらの方向であれ、「以前」は実際に過ごした特定の一週間ではなくなり、今の話をしやすくする都合のいい形に変わってしまう。

決断そのものには見えないものが、記録には見える

この話がまだ議論にすらなっていなかった頃に書いた記録は、以前の勤務体系が良かったか悪かったかを証明しようとはしていない。ただ、ある普通の火曜日に実際に何があったかを言っているだけだ。何時に起きたか、夜に何をしたか、仕事が終わったあとに自分のための時間が残っていたかどうか。新しい勤務体系に切り替わって数か月たってから読み返すと、以前の勤務体系のときのその何気ない週は、「以前はひどかった」という話にも、「以前のほうが規則正しかった」という懐かしむような話にも、たいてい一致しない。そして新しい体系に入ってしばらくたった、本当に何気ない一週間——最初の物珍しい一か月でも、自慢げに話しているその週でもなく——も、導入時に約束されていたほどの完全な変化とは、たいてい一致しない。

何を並べて見ればいいか

  • 新しい勤務体系の最初の一か月は丸ごと飛ばす。それは導入期であり、段取りに追われ、この変化に価値があると証明したいという気持ちがまだ残っている時期であって、最終的に落ち着く先を示すものではない。
  • 切り替えの話がまだ出ていなかった、ずっと前のある普通の週を選ぶ。一年前のごく普通の一週間のほうが、切り替え直前の、すでに変化を待ち望んでいた疲れきった時期よりも多くを教えてくれる。
  • 増えた休みの日に何が入ったかを見る。休みが増えたこと自体ではなく。「休みが増えた」だけでは比較にならない。その時間に実際に何が入ってきたか——何かの取り組み、増えた雑用、増えたスマホの時間、それとも本物の趣味なのか——こそ、じっくり読む価値がある。
  • まったく変わらなかったものに気づく。寝る前にメールを確認する習慣、なんとなく続く日曜の夜の不安、ある特定の悩み——それが二つの週の両方に同じ形で現れているなら、その勤務体系がそもそもの原因ではなかったということだ。

実際によく見えてくるもの

二つの週を並べて読むと、会社の全体会議で語られる話にも、この制度に懐疑的な友人が語る話にも、めったに一致しない。増えた休みの日が、それによって空くはずだったこと——読書、運動、何かの取り組み——のために使われないこともよくある。そもそも時間が足りないことがその妨げではなかったからだ。逆に、圧縮された四つの勤務日が、以前の五日間よりも長く密度の濃いものになっていて、記録を見ると火曜日の余裕は明らかに減っているのに、金曜日は明らかに自由になっている、ということもある。そして、もっとも素朴な発見がいちばん役に立つこともある。今のある普通の平日の夜が、切り替え前のある普通の夜とほとんど同じに見えるのに、一行だけ違いがある。その一行は、以前の勤務体系では存在しえなかったものだ。土曜日にまとめて片づけるしかなかった週の途中の用事が、本来片づけるべき日にちゃんと片づいている、というような一行だ。

TimeMapは、この変化の是非を論じるために後からまとめた要約ではなく、時刻付きの短い記録として一日一日を残す。だから、切り替え前のある普通の一週間も、新しい体系にしばらく慣れたあとのある普通の一週間も、当時実際に書いた言葉のまま記録に残っている。そうした二つの週を並べることは、この変化が正しかったかどうかを決着させる作業というより、変化の前後で実際のある火曜日に何があったかを読み返す作業に近い。

導入直後の一か月と、美化されたり悪者にされたりした以前の勤務体系のイメージは、これからもずっと実際以上に真実らしく感じられるだろう。誰もが口にする話だからだ。書き留めておく価値があるのは、その前後にある何気ない週のほうだ——切り替えの話がまだ誰の口にも上っていなかった週と、新しい体系がもう話題にすらならなくなった週。何が本当に変わったのかを教えてくれるのは、その二つの週だ。